概説
『彷徨える河』(スペイン語原題: El abrazo de la serpiente(蛇の抱擁))は、シーロ・ゲーラ監督の2015年のコロンビアの冒険ドラマ映画である。
アマゾンの熱帯雨林を舞台に、先住民の奴隷化と虐殺を引き起こした19世紀末から20世紀中頃にかけてのアマゾンのゴムブームを政治的背景として、先住民のシャーマンと2人の白人の研究者の交流を通してアマゾンの失われた精神世界への旅を描いている。
脚本はシーロ・ゲーラとジャック・トゥールモンド・ビダル。
コロンビア、ベネズエラ、アルゼンチンの共同制作。
言語はクベオ語、ウィトト語、ティクナ語、ワナノ語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語、カタラン語、ラテン語、英語。125分。
解説
本作はアマゾンを調査した2人の実在の人物、ドイツの民族学者のテオドール・コッホ=グリュンベルク、別名テオドール・フォン・マルティウス(1872–1924年)とアメリカ合衆国の生物学者・民族植物学者のリチャード・エヴァンズ・シュルテス(1915–2001年)の旅行日記から着想を得て制作された。
本作はコロンビアのアマゾン地域でロケーション撮影された。
スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』(1968年)のスターゲート・シークエンスを想起させるような、結末部のサイケデリックな幻覚の場面のみがカラーで、それ以外はすべてモノクロで撮影されている。
本作では、約30年を隔てた2つのエピソードを行き来する非線形の(非時系列的な)語りによって物語が展開する。どちらのエピソードでもアマゾンのシャーマンであるカラマカテが、1909年にはドイツの民族学者のテオと、1940年にはアメリカの植物学者のエヴァンと、(架空の)聖なる植物「ヤクルナ」を探す旅をする。
カラマカテは(架空の)コイワノ族の最後の生き残りだった。カラマカテは1909年の旅で自分たちの部族の伝統文化の消失に直面するが、記憶を失った後の1940年の旅で記憶を取り戻し、自分たちの叡智をエヴァンに伝えるという役割に目覚める。
『彷徨える河』は、植民地主義によって破壊された場所としてのアマゾンで失われた精神世界に遡行する旅を、史実と虚構を織り交ぜてロードムービーとして描いた特異な映画である。
本作の題材はジョゼフ・コンラッドの中編小説『闇の奥』(1899年)とその翻案であるフランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』(1979年)、ヴェルナー・ヘルツォークの『アギーレ/神の怒り』(1972年)、『フィツカラルド』(1982年)などに類似しているが、これらの先行作品ではヨーロッパ人の視点から物語が語られているのに対して、本作は先住民族の視点から物語を語ることを試みている。
本作は虚構の要素を導入することによって、アマゾンの先住民族の失われた精神世界、シャーマニズムを基盤とするその神話的で魔術的な世界観の内側に入り込もうとする、想像力に富んだアプローチが特徴である。
自然界の崇高さ、不可知なものに対する畏怖の念、宇宙との一体感などの、われわれの内に潜む原初の感覚を刺激する映画である。
本作は2015年に第68回カンヌ国際映画祭の監督週間で初公開され、芸術映画賞を受賞した。2016年の第88回アカデミー賞にて、コロンビア映画として初めてアカデミー外国語映画賞にノミネートされた作品となった。
あらすじ(ネタバレ注意)
映画は以下のようなテオドール・コッホ=グリュンベルクの日記からの引用で始まる。
(スペイン語の原文)”No me es posible saber si ya la infinita selva ha iniciado en mí el proceso que ha llevado a tantos otros a la locura total e irremediable. Si es el caso, sólo me queda disculparme y pedir tu comprensión, ya que el despliegue que presencié durante esas encantadas horas fue tal que me parece imposible describirlo en un lenguaje que haga entender a otros su belleza y esplendor; sólo sé que cuando regresé, ya me había convertido en otro hombre.” (Theodor von Martius, Amazonas 1909)
(日本語訳)「無限のジャングルが、非常に多くの人々を完全で回復不能の狂気へと駆り立てたプロセスを私の中ですでに開始しているかどうかを知ることは不可能だ。もしそうなら、お詫びして理解を乞うしかない。あの魅惑的な時間に私が目撃した光景は、他の人々にその美しさと壮麗さを理解できるように言葉で説明することは不可能に思えるほどだった。私が知っているのは、私が戻ったとき、私はすでに別人になっていたということだけだ。」(テオドール・フォン・マルティウス、アマソナス、1909年)
1909年。カラマカテという名の先住民の青年(ニルビオ・トーレス)がコロンビアのアマゾンのジャングルで他の人々と交わらずに一人で暮らしていた。カラマカテはコイワノ族のシャーマンだった。カラマカテの部族はヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化と19世紀末から20世紀初頭のアマゾンの第一次ゴムブームの過程でヨーロッパの侵略者たちによって絶滅させられていた。
テュービンゲン大学出身のドイツの民族学者のテオ(ヤン・ベイヴート)が先住民の同伴者のマンドゥカ(ヤウエンク・ミゲ)とともに、カラマカテの助けを求めてカヌーでやって来る。
テオは重い病気で命の危険に瀕していた。マンドゥカはペルーのゴム農園の元奴隷で、テオによって奴隷状態から救い出されていた。
マンドゥカはカラマカテにテオの病気を治してほしいと頼むが、白人を憎んでいるカラマカテは依頼を断る。
カラマカテはテオがコイワノ族の首飾りをしていることに気付く。テオによるとヤリ川の近くにごく小数のコイワノ族が生き残っており、首飾りは彼らにもらった物だという。
カラマカテは「太陽の精液」と呼ばれる白い粉(幻覚剤)をテオの鼻に噴射してテオを延命させる。
カラマカテはテオに、コイワノ族が保有しているヤクルナという聖なる植物がテオの病気の唯一の治療薬だと言う。カラマカテはテオとマンドゥカとともにヤクルナを探す旅に出ることを決意する。
1940年。年老いたカラマカテ(アントニオ・ボリバル・サルバドール)は記憶を失い、自分が「チュジャチャキ」(自分にそっくりだが中身が空っぽで幽霊のように実体がない)になったように感じていた。
アメリカ合衆国の植物学者のエヴァン(ブリオン・デイヴィス)がカヌーでカラマカテのところにやって来る。エヴァンはテオが書いた『Zwei Jahre unter den Indianern: Reisen in Nordwest-Brasilien(先住民との2年間: 北西ブラジルの旅) 1903/1905』(1909/1910年)という本を持っていた。
エヴァンはカラマカテに、夢を見ることができない症状をヤクルナを使って治したいのでヤクルナ探しに力を貸してほしいと頼む。
カラマカテはエヴァンに、自分もヤクルナを見たいのでエヴァンのヤクルナ探しの旅に同行すると言う。しかしカラマカテはヤクルナがある場所を忘れていた。
エヴァンはカラマカテが昔描いた岩壁画を手がかりにしてヤクルナがある場所の見当を付ける。エヴァンとカラマカテはカヌーでヤクルナ探しの旅に出る。
1909年。カラマカテ、テオ、マンドゥカの3人はヤクルナ探しの旅に出る。
3人はテオが以前に暮らしていたことがある先住民の集落で一晩を過ごす。テオは部族長のチャウアからヤリ川への行き方を教えてもらう。テオとマンドゥカは先住民たちの前で歌と踊りを披露する。テオはチャウアにコンパスを強引に奪われる。
3人はジャングルの中で先住民の共同墓地に遭遇し、ゴムの木に死体が吊るされているのを見る。マンドゥカは激怒し、全部ゴム農園のせいだと言う。
顔に傷があり、右腕がない先住民の男が現れ、マンドゥカに殺してくれと懇願する。マンドゥカはライフルを男に向けて空砲を撃つ。カラマカテはマンドゥカのライフルを川に投げ捨てる。
3人は食糧を調達するためにコロンビア南部のアマソナス県の町、ラ・チョレラにあるカトリックの伝道所(カプチン・フランシスコ修道会)に立ち寄る。そこではスペイン人の司祭が先住民の孤児の少年たちと暮らしていた。
その夜、3人は司祭が少年を鞭で打っているのを発見する。マンドゥカは司祭を殴り倒す。カラマカテは少年たちにここから逃げろと言う。3人は伝道所を去る。
1940年。エヴァンとカラマカテはカラマカテがかつて訪れた伝道所にやって来る。伝道所は自分のことを救世主だと思い込んでいるブラジル人(ニコラス・カンチーノ)とその信者たちの狂信的なカルト教団によって占拠されていた。
ブラジル人はエヴァンとカラマカテを東方の三博士のうちの二人だと思い込み、妻の病気を治せと言う。
エヴァンはカラマカテに、ブラジル人の妻の病気はリーシュマニア症だと言う。カラマカテは煙草の煙をブラジル人の妻の身体に吹きかけ、呪術の儀式を行う。ブラジル人の妻は病気から回復する。
ブラジル人は妻の回復祝いの祝宴を催す。エヴァンとカラマカテは伝道所を去る。
カラマカテはエヴァンに、物を持っていると正気を失って死に至るから荷物を捨てろと言う。
カラマカテは記憶を取り戻しつつあった。カラマカテは、知識を同胞たちに伝えることが自分の役目だと言う。
エヴァンはいくつかの荷物を川に投げ捨てるが、手回し式の蓄音機は手元に残す。エヴァンは蓄音機でハイドンのオラトリオ『天地創造』のレコードを再生してカラマカテに聴かせる。
1909年。3人はコイワノ族が住む小さな町に辿り着く。そこはコロンビアの軍隊と先住民の間の戦場となっていた。
カラマカテは町民たちがアルコール依存症になってヤクルナを薬物として乱用しているのを見て激怒する。カラマカテはヤクルナの木と花に火を付けて燃やす。
町民たちがコロンビア軍から逃れて川に飛び込む。マンドゥカはテオを連れてカヌーで脱出する。
1940年。エヴァンとカラマカテは「神々の仕事場」と呼ばれる場所に辿り着き、そこで最後に残ったヤクルナの花を発見する。
エヴァンは自分の本当の目的が米軍のためにゴムを確保することであることを明かす。エヴァンは戦時下のゴムの供給不足のために高純度のゴムが必要だと言う。エヴァンはヤクルナを利用してより純度の高いゴムを採取する計画を立てていた。
エヴァンはカラマカテをナイフで刺してヤクルナの花を奪おうとするが、思いとどまる。
カラマカテはエヴァンのことを、自分がかつて知識を授けようとしたテオの生まれ変わりのように感じていた。カラマカテはヤクルナの花を使って幻覚剤を作り、それをエヴァンに摂取させる。エヴァンはカラマカテの部族の宇宙観を図像的に視覚化したような幻覚を体験する。