概説
『ローマの休日(原題:Roman Holiday)』は、ウィリアム・ワイラー監督・製作による1953年のアメリカ合衆国のロマンティック・コメディ映画である。ヨーロッパのある王国の王女と、アメリカ人特派員との一日限りの儚い恋を描く、いわば「逆シンデレラ・ストーリー」である。
本作はヘプバーンにとって事実上のハリウッド初主演作であり、この一作でアカデミー主演女優賞を獲得して一躍世界的スターとなった。

製作:パラマウント映画。
監督・製作:ウィリアム・ワイラー。
脚本:ダルトン・トランボ、アイアン・マクレラン・ハンター、ジョン・ダイトン。ただしトランボはハリウッドのブラックリストに載っていたため公開当時はクレジットされず、アイアン・マクレラン・ハンターがトランボの「フロント」(名義貸し)を務めた。
原案:ダルトン・トランボ。
撮影:フランツ・プラナー、アンリ・アルカン。
編集:ロバート・スウィンク。
音楽:ジョルジュ・オーリック、ヴィクター・ヤング。
衣裳デザイン:イーディス・ヘッド。
美術:ハル・ペレイラ、ウォルター・H・タイラー。
主要キャスト:グレゴリー・ペック(ジョー・ブラッドレー)、オードリー・ヘプバーン(アン王女)、エディ・アルバート(アーヴィング・ラドヴィッチ)、ハートリー・パワー、ハーコート・ウィリアムス、マーガレット・ローリングス(ヴェレベルグ伯爵夫人)、チュリオ・カルミナーティ(プロヴノ将軍)、パオロ・カルリーニ(理髪師マリオ・デラーニ)。
配給:パラマウント映画。
言語:英語(一部イタリア語)。
フォーマット:35mmモノクロ、アカデミー比1.37:1。
上映時間:118分。
製作費:約150万ドル。興行収入:北米で約500万ドル。
予告編
プロットの概要
ヨーロッパのある王室の王女アンは、各国親善訪問の一環でローマに滞在中、儀礼と規律に縛られた生活に疲れ果て、ある夜、大使館を脱走する。
医師に処方された鎮静剤の効果でベンチに眠り込んでいたところを、アメリカの新聞社の特派員ジョー・ブラッドレーに助けられ、彼女の正体を知らないまま彼のアパートに一晩泊めてもらう。
翌朝、新聞でアンの「病気療養」のニュースを読んだジョーは彼女の正体を悟り、特ダネ欲しさに素性を隠したままローマ観光に連れ出す。
二人は理髪店、スペイン広場、真実の口、コロッセオなどを巡り、次第に惹かれ合っていくが、王女としての責務と一人の女性としての自由のあいだで、アンはやがて宮殿に戻る決断を下す。
解説
制作の経緯・背景
本作の原案は1949年、フランク・キャプラが自作『或る夜の出来事』(1934年)の焼き直しとして映画化権を取得したものである。当時の構想ではキャプラが監督し、主演にケーリー・グラントとエリザベス・テイラーを起用する予定だった。しかしキャプラ自身の製作会社リバティ・フィルムズが経営不振に陥ってパラマウントに身売りし、パラマウントが150万ドル以上の予算を認めなかったことから、キャプラは本作から降板した。降板の理由については予算面だけでなく、脚本を執筆したトランボが「アカ」とみなされていたことが発覚し、共産主義者との関係を疑われることを恐れたためだとする見方もある。
後任として起用されたワイラーは、ローマでの全編ロケーション撮影を条件にパラマウントとの契約を交わした。パラマウント・スタジオの責任者のフランク・フリーマンは予算・運用面からロケーション撮影に反対したが、ワイラーはロケーション実現のために予算の大幅削減を受け入れ、その結果、本作はイタリアで全編撮影された最初のアメリカ映画となった。さらに、当初はテクニカラーでの撮影が計画されていたが、コスト削減のためモノクロでの撮影に変更された。
脚本執筆の中心にいたのはダルトン・トランボである。トランボは赤狩り(マッカーシズム)下で「ハリウッド・テン」の一人として実刑判決を受け、自らの名前で脚本を発表できない状況にあった。友人の脚本家アイアン・マクレラン・ハンターがトランボの「フロント」を引き受け、スタジオから受け取った報酬の大半をひそかにトランボへ渡していた。本作が高い評価と興行的成功を収めた際、原案賞(アカデミー賞)を受け取ったのはハンターであり、アカデミー会員たちは自分たちが実はブラックリスト対象者を称えていたことを知らなかった。この名義貸しの構図は長らく修正されないままだったが、2003年のDVD化に際してトランボの名がクレジットに復元され、2011年12月19日には脚本部分についても正式にトランボの功績として認定された。
なお、ブラックリストに載っていた映画監督バーナード・ヴォーハスも、偽名を用いて本作の助監督として働いていた。
キャスティングについても紆余曲折があった。ジョー役は当初ケーリー・グラントに打診されたが、グラントは自分にはアン王女役の相手として歳を取り過ぎていると考え、これを固辞し、最終的にグレゴリー・ペックが起用された。
王女役についても当初はエリザベス・テイラーとジーン・シモンズが候補に挙がっていたが、いずれも他の仕事で都合がつかなかった。ロンドン経由でローマ入りする途上、ワイラーは第一候補のジーン・シモンズと面会するとともに、他の若手女優たちのスクリーンテストにも立ち会っており、その中に無名だったオードリー・ヘプバーンがいた。
1951年9月18日、ロンドンのパインウッド・スタジオでソロルド・ディキンソン監督のもとでヘプバーンのスクリーンテストが行われた。脚本の一部を演じさせたのち、パラマウント側の要望で演技ではない素のヘプバーンの姿を撮るためのインタビューが行われた。実際に彼女の起用を決定づけたのはこの素顔の映像だったとされる。ワイラーはこのテスト映像に強い感銘を受け、無名の新人だったヘプバーンを主演に抜擢した。
特徴
本作最大の特徴は、キャプラ版の企画段階で想定されていたカラー・スタジオ撮影から一転し、ロケーション撮影の実現と引き換えに予算削減を受け入れた結果としてモノクロ撮影になったという、いわば消極的選択の産物である点にある。しかしこのモノクロの陰影と、実在するローマの街並みそのものが物語の背景として機能する構成は、結果として本作にドキュメンタリー的な実在感を与えた。
もう一点の重要な特徴が、無名だったオードリー・ヘプバーンの存在そのものである。ヘプバーンの演技は、ベテランのような自然さで、無邪気さと魅力を感情の深みとともに難なく融合させていたと評され、この作品は事実上、ハリウッド女優オードリー・ヘプバーンの誕生の場となった。
ロケーション
本作はスタジオ場面をチネチッタ撮影所(ローマ最大かつヨーロッパ最大級の映画スタジオ)で撮影した一方、それ以外のほぼ全編を実際のローマの街角で撮影した。冒頭のニュース映像的なクレジット部分ではコロッセオとフォロ・ロマーノの一部が映し出され、この直後の字幕で全編がローマで撮影されたことが誇らしげに明かされる。
物語終盤の名場面である「真実の口」(ボッカ・デッラ・ヴェリタ)はサンタ・マリア・イン・コスメディン教会のポルティコに置かれた、海神オケアノスを象った摩耗した石の仮面であり、コロッセオにほど近い場所にある。
王女が髪を切ったのちに理髪師マリオに誘われて訪れる舟上ダンスの舞台はサンタンジェロ城前のテヴェレ川岸であり、劇中ではここで秘密警察に発見されたアンとジョーが川に飛び込んで逃げる。
二人が乗るベスパの疾走シーンについては、一見コロッセオ付近と思われがちだが、実際にはマルケッルス劇場沿いのヴィア・デル・テアトロ・ディ・マルチェッロで撮影されていることが後年の検証で判明している。その後アンとジョーはピアッツァ・ヴェネツィア付近でベスパを乗り換え、コルソ・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世周辺やラルゴ・ディ・トッレ・アルジェンティーナ付近の小さなロータリーを抜けて警察に追われる。
ジョーの自宅アパートはヴィア・マルグッタ51番地に設定され、王女の滞在先である架空の大使館の場面には実在するパラッツォ・ブランカッチョが用いられている。理容師マリオの店の場面や、アンとジョーが再会するジェラート店の場面はトレヴィの泉、スペイン広場周辺、パラッツォ・コロンナといった名所で撮影された。
撮影技法
撮影は、ローマの実景の中を移動しながら物語を進めていく編集の緩急に特徴がある。
ベスパでの疾走シーンでは、当時のローマの実際の交通量の中で撮影が行われており、コロッセオ、フォロ・ロマーノ、ピアッツァ・ヴェネツィアといった史跡群を背景に、王女と記者の逃避行がスピード感豊かに描かれる。
理髪店でヘプバーンが長い髪を切り落とす場面や、真実の口でペックが手を食いちぎられたふりをする場面など、俳優の自然な反応そのものを活かした演出も本作の特色である。後者については、ペックが手を石像の口に隠して抜けなくなったふりをするというアイデアは即興によるもので、この場面でのヘプバーンの驚きの表情が極めて説得力があるのは、彼女がいたずらの被害者そのものであり、ペックの手が本当に挟まって抜けなくなったのだと信じ込んでいたためであるとされる。
ヘプバーンの衣装
アン王女が身にまとう、コットンブラウス、太ベルト、サーキュラースカートという組み合わせは、本作を象徴するイメージとして今日まで記憶されている。衣裳を手がけたのはイーディス・ヘッドで、王女がローマの街に紛れ込むふつうの娘に見えるよう、あえて「街に出ても違和感のない、シンプルな衣裳」を選んだと語っている。この「王女が変装したふつうの娘」の装いは、宮廷での正装(豪華なガウン、宝飾品、王冠)との対比によって際立てられている。
イーディス・ヘッドはこの衣裳デザインにより、本作でアカデミー衣裳デザイン賞(白黒部門)を受賞している。
劇中でヘプバーンが披露する大胆なショートヘアもヘッド自身が提案したものであり、これは1950年代のファッション界に独自の潮流を生み出したとされる。
テーマ分析
本作を貫く主題は、王族としての「義務」と、一人の人間としての「自由」との相克である。
物語構造についてはフランク・キャプラの『或る夜の出来事』との親近性が繰り返し指摘されており、身分を隠した上流階級の女性と、彼女に惹かれつつ特ダネを狙う新聞記者という組み合わせは、その系譜に連なるものである。ただし『或る夜の出来事』が最終的に二人を結びつけるのに対し、本作はあえてそれを回避する点で、ジャンルの定型からの意識的な逸脱を見せている。
本作の物語の骨格は、身分違いの恋人たちが困難を乗り越えて結ばれるという古典的なシンデレラ・ストーリーの構図を借りながら、それを反転させたものになっている。すなわち、変装するのは平民の娘ではなく本物の王女であり、彼女が最終的に選び取るのは「恋」ではなく「宮廷への帰還」である。この苦い後味のある結末は、本作を単なる娯楽的ロマンス以上のものにしている一因とされる。
戦後復興期のローマという舞台設定そのものも重要な意味を持っている。戦火に見舞われた都市や人々が再生し得ることを象徴するかのように、本作のローマが瓦礫の街ではなく活気を取り戻した街として描かれている点は、同時代のイタリア・ネオレアリズモ映画が描いた戦後の貧困とは対照的な、アメリカ側から見たローマ像の提示だと言える。
公開
1953年8月20日、ヴェネツィア国際映画祭にて公式上映され、同年8月27日にアメリカ国内で劇場公開された。
評価
公開当初から本作は批評・興行の両面で高い評価を受けた。
『バラエティ』誌は、ワイラーが古代都市ローマの街並みと建造物を色彩豊かで美しい背景として活かし、笑いのタイミングを緩めることなく、随所に気の利いた演出とともに優しく切ないシーンを盛り込んでいる、と評した。
現在では映画批評サイトRotten Tomatoesにおいて60件のレビューに基づき97パーセントの支持率(平均点8.40/10)を獲得しており、同サイトの総評は、アメリカデビューを飾ったオードリー・ヘプバーンの輝きとともに、本作を現代のロマンティック・コメディの規範を打ち立てた、美しくもユーモラスな作品と位置づけている。
授賞面では、本作はアカデミー賞に10部門でノミネートされ、主演女優賞(ヘプバーン)、衣裳デザイン賞・白黒部門(ヘッド)、原案賞(表向きはハンター名義)の3部門で受賞したほか、作品賞、監督賞、助演男優賞(エディ・アルバート)、脚本賞、編集賞、美術賞・白黒部門、撮影賞・白黒部門の各部門でもノミネートされている。ヘプバーンはこれに加えてゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)、英国アカデミー賞最優秀英国女優賞、ニューヨーク映画批評家協会賞主演女優賞も獲得した。
本作の文化的影響は映画そのものの評価を超えて広がった。劇中で使われたベスパは、本作公開後の数年でその販売数が3倍に伸びた。また、本作は当時のイギリス・アメリカの観客に熱狂的に受け入れられ、その人気はローマへの観光需要の顕著な高まりという形で表れた。
歴史的な位置づけ
本作は、戦後まもない時期にハリウッドの製作陣がイタリアで撮影を行った、いわゆる「ハリウッド・オン・ザ・タイバー」(テヴェレ河畔のハリウッド)と呼ばれる潮流の中でも、代表的な作品の一つに数えられる。この潮流の背景には、スタジオが海外市場で得た凍結資金(ここではイタリアのリラ)を現地製作に投じるという当時特有の財務上の事情があった。本作の成功は、同じくローマを舞台にアメリカ人の恋愛模様を描いた『愛の泉』(1954年)のような、アメリカ人がローマを訪れる物語群の連なりを後押しすることになった。
本作は後年、その文化的価値の高さから公的な保存対象ともなっている。1999年、アメリカ議会図書館の全米フィルム登録簿(National Film Registry)に、文化的・歴史的・美的に重要な作品として保存対象に選定された。またアメリカ映画協会(AFI)による選定でも、「AFIのアメリカ映画ベスト100・恋愛映画編」で第4位、ロマンティック・コメディ・ジャンルの「トップ10・オブ・トップ10」でも第4位に選ばれている。
ホームメディア
アメリカでは2015年に本格的なデジタル修復が行われており、オリジナルのカメラネガがローマの現像所で当時損傷していたため、35mmファイングレインプリントとデュープネガを新たに4Kスキャンする形で作業が進められたという。この素材をもとに、2020年9月15日、パラマウント・プレゼンツ・レーベルより本作初のブルーレイとなる4Kリマスター版が発売され、2023年には同じ4K修復素材を用いた4K UHDディスクも発売された。
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あらすじ(ネタバレあり)
王女アンの脱走
ヨーロッパのある王国の王女アンは、各国親善訪問中のローマ滞在で、大使館主催の舞踏会に臨む。厳格な公務日程に不満を募らせた彼女は、その夜、医師の勧めた鎮静剤を打たれながらも、就寝後にひそかに大使館を抜け出す。
ジョーとの出会い
薬が効き始め、アンはローマの街角のベンチで眠り込んでしまう。通りかかったアメリカの新聞社特派員ジョー・ブラッドレーは、彼女を酔っ払いだと勘違いしながらも放っておけず、タクシー代を工面できないこともあり、自分のアパートに連れ帰って一晩泊める。ジョーはアンの正体を知らないまま、翌朝出社する。
正体の発覚と特ダネ狙いの一日
出社したジョーは、王女が「急病のため公務を全て取りやめた」との報道を目にし、前夜の女性がアン王女本人であることに気づく。特ダネの好機と見たジョーは、素性を隠したまま「アニヤ」と名乗るアンをローマ観光に連れ出すことを提案する。同時に、写真家の友人アーヴィング・ラドヴィッチにひそかに同行させ、ライター型の隠しカメラで一日の様子を撮影させる。
ローマ散策
自由を満喫するアンは街の理容師マリオの店に立ち寄り、長い髪をばっさりと切ってショートヘアに変身する。二人はジェラートを片手にスペイン広場の階段でくつろぎ、ジョーのベスパにまたがってコロッセオ、フォロ・ロマーノ周辺を疾走する。真実の口では、ジョーが自分の手が石像に食いちぎられたふりをしてアンを驚かせる。
サンタンジェロ城でのダンスと逃走
夜、理容師マリオに誘われた二人はサンタンジェロ城前のテヴェレ川岸で催される舟上のダンスパーティーに繰り出す。だが会場には、行方をくらませたアンを探す秘密警察の一団が張り込んでおり、二人は乱闘の隙をついてテヴェレ川へ飛び込み、辛くも逃げおおせる。この騒動の最中、ジョーとアンは初めて言葉少なに互いへの想いを確かめ合う。
別れと記者会見
翌日、王室関係者に発見されたアンは、名残惜しさを抱えながらも大使館へと戻ることを決意する。その後開かれた公式記者会見の場で、アンは会場に居合わせたジョーとアーヴィングが実は前日の同行者であったことに気づくが、素知らぬふりで公務を続ける。ジョーはこっそりと、アーヴィングが撮影した一日の記録写真の原版をアンに手渡し、記事にしないことを暗に伝える。二人は言葉を交わさぬまま視線だけで別れを告げ、アンは会見場を後にして王女としての務めへと戻っていく。
