言語切替

とべない沈黙(1966年)

概説

『とべない沈黙』は、黒木和雄監督の1966年の日本のドラマ映画である。

1954年から1962年にかけて岩波映画に所属し、1950年代末から1960年代前半にPR映画やドキュメンタリー映画を監督していた黒木の長編デビュー作であり、初の劇映画である。

第二次世界大戦の傷痕がまだ生々しかった頃の1960年代中頃の日本を舞台に、長崎から北海道へと日本列島を北上するチョウの幼虫をロードムービーのように追いかけながら、さまざまな風景やエピソードをオムニバス形式で描いている。

脚本は松川八洲雄、岩佐寿彌、黒木和雄。

撮影は鈴木達夫。

音楽は松村禎三。

製作は日本映画新社。

配給は東宝、ATG。

モノクロ。スタンダードサイズ。100分。

プロットの概要

北海道で少年がナガサキアゲハチョウを捕まえるが、それは日本では南端にしか生息していないはずのチョウだった。

映画は長崎から萩(山口県)、広島、京都、大阪、香港、横浜、東京を経て北海道へと運ばれてゆくナガサキアゲハの幼虫を追いかけながら、日本各地の風景やエピソードを描き出す。

萩では男が旧家の女と情交を結ぶ。

広島では少女がかつての恋人と再会する。

京都では退役軍人の中年男が少女を口説こうとする。

大阪では会社員がバーで出会った女と一夜をともに過ごす。

横浜と東京では幼虫が国家機密として扱われ、幼虫をめぐって国家間の血なまぐさい争奪戦が展開される。

少年は北海道でナガサキアゲハの化身である謎の女(加賀まりこ)に出会う。

解説

『とべない沈黙』は、アラン・レネの『二十四時間の情事』(1959年)やジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1960年)などのフランスのヌーヴェルヴァーグに影響された実験的な手法を用いて、当時の日本における戦争の傷痕と日本の再軍備に対する不安をテーマとして描いた政治的なアヴァンギャルド映画である。

『とべない沈黙』というタイトルはスペインの詩人、フェデリコ・ガルシーア・ロルカの詩の一節から採られている。

本作は劇映画、ドキュメンタリー、ミュージカルの要素を含んでいる。

広島の場面では、ドラマのパートは原水爆禁止運動のデモ行進や広島平和記念式典などの実際の出来事とともにロケーション撮影されている。

東京の街頭を戦車隊が走る場面は自衛隊記念日にロケーション撮影されたものである。

ミュージカル風の二つの場面で主題歌「ひとりぼっちの蝶々」(作曲: 山本直純)が歌われている。

篠田正浩監督の『乾いた花』(1964年)と中平康監督の『月曜日のユカ』(1964年)に主演していた加賀まりこが本作でナガサキアゲハの化身、広島の少女、京都の少女を含む複数の役を演じた。

加賀の衣裳はファッション・デザイナーの中林洋子がデザインした。

加賀は本作でゴダールの映画におけるアンナ・カリーナに似た役割を担っている。

本作は明確なストーリー展開を欠いた難解な映画だが、加賀の魅力的な存在感によって、商業映画として観賞可能な作品となっている。

本作は手持ちのカメラによるロケーション撮影、トラッキングショット、空撮、超接写などの撮影技法を用いて制作されている。

鈴木達夫が撮影したモノクロの映像がスタイリッシュで美しい。

本作は1965年に公開される予定だったが、東宝は本作を前衛的すぎるという理由でお蔵入りにした。その後、本作は1966年に日本でATGによって公開された。

『とべない沈黙』は、当時の日本の左翼の心情、すなわち、日米安全保障条約に反対する1960年の安保闘争の敗北を背景とする、日本の軍事国家への回帰に対する不安の高まりを色濃く反映した映画である。

本作におけるチョウは何かの暗喩であるように思われるが、それが何を意味しているのかは曖昧である。どう解釈するかは観客に委ねられている。

チョウは反戦平和主義の象徴として解釈できるかもしれないし、幼虫からチョウへの変態は戦前から戦後にかけての日本のイデオロギーの(天皇制に基づく国家主義から民主主義への)転換を表しているのかもしれない。

いずれにしても、少年がチョウの存在を否定された後にチョウを殺す場面は意味深である。

日本国内では2002年にカラーテックが本作をDVDで発売した(販売元: テック・コミュニケーションズ)。

2020年に英国映画協会(BFI)は「1925年から現在までの年間最優秀日本映画」のリストで『とべない沈黙』を1966年の最優秀日本映画に選出した。

あらすじ(ネタバレ注意)

1. オープニング

映画は羽化するナガサキアゲハの映像と以下の文章で始まる。

「ナガサキアゲハチョウは純熱帯系の蝶で日本に帰化した例として知られている。主としてザボンを食し、卵から幼虫へ、幼虫から蛹へ、蛹から羽化して蝶となる。」

2. 北海道

北海道に住んでいる少年(平中実)がデパートでナガサキアゲハの標本を発見する。

少年は白樺の林でナガサキアゲハを捕まえる。少年は小学校の教師(小沢昭一)にそれを報告するが、教師はナガサキアゲハは日本では南端にしか生息していないはずだと言って少年の主張を否定する。

少年はデパートにあったナガサキアゲハの標本がなくなっていることに気付く。

北海道大学の教授(戸浦六宏)は少年にピルトダウン人の捏造事件の話をして少年を諭す。

少年は高原で少女(加賀まりこ)に出会う。

少女はアイヌの老人(山茶花究)の孫娘だった。少女は祖父に少年が捕まえたチョウを見せる。老人は少年にチョウに関する謎めいた話をする。

少年はナガサキアゲハを引き裂いて石狩川に捨てる。

3. 長崎

長崎でナガサキアゲハの幼虫がザボンの葉を食べている。

ザボンの実を持った男が東京行きの汽車に乗る。男は実に幼虫がくっついていることに気付き、実を車窓から投げ捨てる。

4. 萩

山口県の萩で娘(加賀まりこ)が幼虫を手に載せている。

扇谷三津子という名の女が情夫の羽田泰三(長門裕之)と自宅の旧家の土蔵で抱き合っている。

羽田は三津子と共謀して三津子の夫の扇谷三郎を殺害していた。

羽田は三津子に一緒に逃げようと誘うが、三津子は家を離れられないと言う。

5. 広島

1964年8月6日、原爆の日の広島。

羽田は原水爆禁止運動のデモ行進に加わる。

青年(蜷川幸雄)がかつての恋人(加賀まりこ)に会うために東京から広島にやって来る。恋人は原爆投下によって胎内被爆した少女だった。

青年は広島平和記念式典が行われている広島平和記念公園で少女を追いかける。

少女は太田川のほとりのスラムに住んでいた。

ストリップ小屋に入った羽田は新聞を読み、自分が萩で扇谷を殺害した容疑で指名手配されていることを知る。

その夜、青年は少女に一緒に東京に戻ろうと誘うが、少女は拒絶する。

人々が平和公園の横を流れる元安川で灯篭流しの儀式を行っている。

青年と少女は抱き合う。

少女はアメリカのABCC(原爆傷害調査委員会)の車両のヘッドライトを見て錯乱し、叫ぶ。

広島をさまよい歩く少女のイメージ映像。

広島平和記念式典や夜の広島の町を撮影したドキュメンタリー映像。

原爆投下によって焼け野原となった広島の記録映像。

これらの映像に、原爆投下後の広島で生きる人々の画面外のインタビュー音声と効果音が重なる。

6. 京都

京都で中年男(小松方正)と少女(加賀まりこ)が京都市動物園、三十三間堂、墓地を散策している。中年男は少女を口説こうとする。

男は退役軍人だった。

墓地で豪雨の中、男は戦時の記憶を想起して錯乱し、絶叫する。

男は南方戦線で現地の若い娘を愛したが、娘の家族がスパイであることが疑われたため、娘と娘の家族を殺害した。

少女が南禅寺で日傘を差しながら主題歌「ひとりぼっちの蝶々」を歌う。この場面では歌手の坂本スミ子が吹き替えで歌を歌っている。

少女の手に幼虫が載っている。

7. 大阪

このパートは大会社で働く会社員(渡辺文雄)の一日を台詞なしで描いている。

画面外のインタビューで大会社に勤務する女性社員たちが男性社員たちのファッションについて喋っている。

会社員はバーで出会った女と一夜をともに過ごす。

8. 香港

香港の中華料理店で組織のボスが部下の報告を聞いている。

報告によると、ナガサキアゲハの幼虫が国家機密として取り扱われており、横浜で二十億円で取引することができるという。

9. 横浜港

このパートはスパイ映画や犯罪映画のようなアクションシーンを含んでいる。

横浜と東京で、幼虫をめぐって国家間の血なまぐさい争奪戦が展開される。

1960年の安保闘争の記録映像。

女性歌手(坂本スミ子)が主題歌「ひとりぼっちの蝶々」のラテン・アレンジを歌う。

自衛隊記念日のドキュメンタリー映像。東京・池袋の街頭を戦車隊が走っている。

10. 北海道

ナガサキアゲハの化身である謎の女(加賀まりこ)がジェット機に乗って北海道にやって来る。

謎の女はクラシックカー(フォードの1931年製)に乗って少年のもとにやって来る。女はザボンの葉を食べている。

少年は再びナガサキアゲハを捕まえる。

少年はナガサキアゲハを潰して殺し、捨てる。