概説
『処女の泉』(スウェーデン語:Jungfrukällan、英語:The Virgin Spring)は、イングマール・ベルイマン監督による1960年のスウェーデンの歴史ドラマ映画である。脚本はウッラ・イーサクソン。中世スウェーデンを舞台に、娘を強姦し殺害した男たちに父親が復讐する物語を描く。モノクロ、上映時間89分。

中世に成立したとされるスウェーデンのバラッド『ヴェンゲのテーレの娘たち(Töres döttrar i Wänge)』を原案とする。
本作はベルイマンと撮影監督のスヴェン・ニクヴィストが初めて本格的に組んだ作品であり、以後ニクヴィストはベルイマンの主要な協働者となった。
第33回アカデミー賞(1961年)で外国語映画賞を受賞した。
- 製作:アラン・エーケルンド、イングマール・ベルイマン
- 製作会社:スヴェンスク・フィルムインドゥストリ
- 配給:スヴェンスク・フィルムインドゥストリ(スウェーデン)、ジャヌス・フィルムズ(アメリカ)
- 脚本:ウッラ・イーサクソン
- 撮影監督:スヴェン・ニクヴィスト
- 編集:オスカル・ロサンデル
- 音楽:エリク・ノルドグレン
- 美術:P・A・ルンドグレン
- 衣装:マリク・ヴォス
- 主要キャスト:マックス・フォン・シドー(テーレ)、ビルギッタ・ヴァルベルイ(メレータ)、グンネル・リンドブロム(インゲリ)、ビルギッタ・ペテルソン(カーリン)、アクセル・デューベリ(痩せた羊飼い)、トール・イセダル(口のきけない羊飼い)、オーヴェ・ポラート(少年)、アラン・エドヴァル(乞食)
- 言語:スウェーデン語
- 技術仕様:35mmフィルム、白黒、画面比1.37:1
- 興行収入:アメリカで約70万ドル
予告編

プロットの概要
中世のスウェーデン。敬虔なキリスト教徒で裕福な地主のテーレと妻のメレータには、一人娘のカーリンがいる。家には妊娠中の召使いのインゲリも暮らしている。インゲリは密かに北欧神話の神オーディンを崇拝しており、大切に育てられたカーリンを妬んでいる。
カーリンは教会に蝋燭を寄進するため、インゲリとともに馬で森を抜けて教会へ向かう。途中でインゲリと別れて一人になったカーリンは、ヤギを連れた三人の羊飼い(兄弟。二人の男と一人の少年)に出会う。二人の男はカーリンを強姦して殺害する。インゲリは離れた場所からその一部始終を目撃するが、介入しない。
羊飼いたちは、それとは知らずにテーレの屋敷に一夜の宿を求める。
解説
制作の経緯・背景
ベルイマンは学生時代にテーレの伝説を読み、映像化に適した題材と考えていたとされる。当初はスウェーデン王立歌劇場でのバレエ、あるいは戯曲としての上演を構想していたが、『野いちご』(1957年)の制作中に映画化が最適と判断した。テーレを扱うバラッドは複数あり、ベルイマンは『ヴェンゲのテーレの娘たち』を、そのなかで最も単純なものの一つとして選んだ。
脚本には小説家のウッラ・イーサクソンを起用した。イーサクソンは中世を舞台にした小説の写実性で評価されており、ベルイマンには、時代考証をめぐって批判を受けた『第七の封印』(1957年)と同種の批判を避ける意図があったとされる。ベルイマン研究者フランク・ガドーの伝記によれば、イーサクソンの関心はキリスト教と異教の対立にあり、ベルイマンの関心は罪悪感の分析にあった。
製作会社スヴェンスク・フィルムインドゥストリは、本作の製作を承認する条件として、ベルイマンに先に喜劇を撮ることを求めた。この喜劇が『悪魔の眼』(1960年)である。
撮影監督は、それまでのベルイマン作品を担当していたグンナール・フィッシャーからニクヴィストに交代した。
黒澤明の『羅生門』(1950年)の影響は、ベルイマン自身が認めている。ベルイマンは同作を好きな映画の一つに挙げていた一方、後年には本作を「黒澤の惨めな模倣」と評した。
撮影
ニクヴィストはフィッシャーよりも自然光を重視した照明を採用した。撮影は1959年春に行われた。ベルイマン自身が公開時の宣伝資料に寄せた文章「Pages from a Non-Existent Diary」によれば、気温は氷点下近くで、雪片の混じる霧のなか、旧式の撮影機材の稼働に苦労した。しかし雲間から日が差した瞬間に、森の中の暗い水面を撮影することができたという。
ロケーション
屋外の場面はダーラナ地方で撮影された。確認できる撮影地は、ラットヴィーク市北方にあるスティッグフォッシェン(Styggforsen、現在は自然保護区)とスカットゥングビー(Skattungby)である。屋内の場面はストックホルムの撮影所で撮影されたとされる。
人物造形
カーリンとインゲリは、昔話の登場人物のように対照的に造形されている。カーリンは常に清潔で上質な衣服をまとった無垢な処女として現れる。一方インゲリは、汚れた身なりで肌が浅黒く、暗い色の馬に乗り、妊娠していることが無垢の欠如を示す(デヴェリル・ジェイムズによる2011年の分析)。強姦の後、カーリンの外見は乱れた状態で描かれる。
暴力描写
強姦の場面についてベルイマンは、犯罪をその赤裸々な残虐さのまま見せることで、観客を芸術作品の美的鑑賞から、罪と恩寵をめぐる人間のドラマへの関与へと引き込むことが必要だと述べた。そのためには一定のタブーを侵すことも辞さないという立場である。
この場面は、各国で検閲の対象となった。アメリカのニューヨークで公開された版では、強姦犯の身体にカーリンの裸の脚が絡む場面が削除された。テキサス州フォートワースでは猥褻を理由に上映が禁止され、同州最高裁は審理を退けた。日本では、公開時に映倫によって強姦の場面が丸ごと削除された。
テーマ分析
物語の中心には、キリスト教と異教の対立がある。スウェーデンでキリスト教が支配的になる過程を背景に、異教は呪術、嫉妬、復讐と結びつけて描かれる。映画はインゲリがかまどの火を熾してオーディンに祈る場面で始まる。研究者のガドーは、インゲリが出会う隻眼の男(橋守)について、片目、飼っている鴉、遠くを見通す力を持つ高座といった要素が、オーディンとその玉座フリズスキャルヴを想起させると指摘している。これは、オーディンをキリスト教における悪魔と同一視する読みにもつながる。
主要な人物は、それぞれ罪悪感を抱える。インゲリはオーディンに祈ったこと、そしてカーリンの殺害を傍観したことに苛まれる。羊飼いの少年は、殺害後、遺体に土をかけて埋めようとするが、途中でやめて逃げる。テーレは、のちにその少年をも殺害し、そのことに苛まれる。
マルク・ジェルヴェは、テーレの復讐を「儀式化された異教的復讐」と呼び、さらに「テーレは、異教的な復讐と、キリスト教的な悔悛と赦しという、二つの儀式化された要請のあいだで引き裂かれている」と述べている。また、『マクベス』との類似も指摘している。テーレは神に呼びかけ、なぜこのような事態を許したのか理解できないと述べたうえで、殺害の場所に教会を建てると誓う。このとき、遺体の頭部があった場所から泉が湧き出る。脚本のイーサクソンは、泉をカーリンの無垢の象徴と捉えていた。インゲリがその水で頭と目を洗い、水を飲む行為は、赦しの象徴とされる。批評家のピーター・コウイは、泉(水)を、冒頭のインゲリの火や、作中の随所に映る小川(土)とともに、火・土・水という異教的な意味の反映と捉えている。
泉の奇跡を神の応答と見なすかどうかは、批評でも意見が割れてきた。批評家のドワイト・マクドナルドは、なぜ神が蘇生ではなく泉を選んだのかと疑問を呈している。
公開
1960年2月8日にストックホルムで初上映された。上映中に15人が席を立ち、涙を流して退場した観客もいたと伝えられる。スヴェンスク・フィルムインドゥストリの会計担当者は、ベルイマン作品にしばしば赤字の指摘をしてきたが、本作は成功したと認めた。1960年5月のカンヌ国際映画祭(5月4日〜20日)ではコンペティション部門に出品され、特別賞(Special Mention)と国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI賞)を受賞した。
アメリカでは1960年11月14日にニューヨークで公開された。日本では、『キネマ旬報』の1961年度外国映画ベスト・テンで第1位に選ばれた。
評価
スウェーデンでは評価が分かれた。『スヴェンスカ・ダーグブラーデット』紙は、眉間を殴られたような衝撃と評した。『ストックホルムス=ティドニンゲン』紙は、イーサクソンは活字に向き、映画では弱いと評した。『アフトンブラーデット』紙は、演出がやや緩いと評した。
アメリカでは、『ニューヨーク・タイムズ』のボズレー・クロウザーが1960年の批評で、残虐な場面の写実性が、劇的効果に見合わないほど感覚を打ちのめすと書いた。スタンリー・カウフマンは復讐の場面が長すぎて滑稽の域に近づいていると評した。
ベルイマン自身は、『ベルイマン・オン・ベルイマン』で、当時は出来のよい自作の一つと考えていたと語っている。他方で、前述のように後年には黒澤の模倣とする厳しい自己評価も残している。
Rotten Tomatoesでは、本稿執筆時点で25件のレビューに基づき支持率88%、平均評点8/10となっている。
受賞・ノミネート
- 第33回アカデミー賞:外国語映画賞(受賞)、衣装デザイン賞(白黒部門、マリク・ヴォス、ノミネート)。ベルイマンにとって、外国語映画賞の初受賞となった。
- カンヌ国際映画祭(1960年):特別賞、国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI賞)。
- ゴールデングローブ賞:外国語映画賞。
影響
ウェス・クレイヴン監督のホラー映画『鮮血の美学』(1972年)は本作のプロットを下敷きにしている。同作では、娘を殺された両親が、犯人が偶然自宅に泊まったことを知って復讐するという構図が引き継がれており、クレイヴンはベルイマンからの影響を認めている。映画批評家のロビン・ウッドは、本作を芸術、『鮮血の美学』を搾取映画(エクスプロイテーション)と位置づけて対比した。研究者のアレクサンドラ・ヘラー=ニコラスは、本作を強姦復讐映画(rape and revenge film)というジャンルの、比較的高尚な源流と位置づけている。
映画監督の李安(アン・リー)も本作から大きな影響を受けたと述べている。台湾で学生時代に初めて観たアート映画が本作であった。2005年のクライテリオン・コレクション版のイントロダクションでは、18年の人生でこれほど「静かで、穏やかで、しかも暴力的な」ものは観たことがなく、神の所在を根本から問う作品だと語っている。また、本作によって人生が変わったとも述べている。
ホームメディア
アメリカでは、クライテリオン・コレクションから2006年1月24日にDVD、2018年6月26日にBlu-rayが発売された。これ以前にも、1998年4月29日にホーム・ヴィジョン・エンタテインメントからビデオ版が発売されている。
ヨーロッパでは、イギリスでタルタン(Tartan)から2002年10月28日にDVDとビデオが発売された。ドイツでは、スタジオカナル(アルトハウス)から2005年6月1日にDVDが発売された。Blu-rayは、2013年11月21日発売の『イングマール・ベルイマン・エディション』(『夏の夜は三たび微笑む』『第七の封印』『野いちご』とのセット)に収録された。2018年には、ベルイマン生誕100年を記念する10作品のBlu-ray BOXにも収められた。
日本では、DVDが2000年4月25日(ハピネット)に発売されており、のちに2014年12月24日にHDリマスター版DVD(シネマクガフィン)、2023年7月14日にHD修復版DVDが発売された。Blu-rayは、2023年7月14日発売の『野いちご』HD修復版・『処女の泉』HD修復版のBlu-ray BOXに収録され、2024年10月30日には単品のHD修復版Blu-rayも発売された。
検索リンク
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あらすじ(ネタバレあり)
中世のスウェーデン。裕福で敬虔なキリスト教徒のテーレは、一人娘のカーリンを大切に育てている。家には妊娠中の召使いインゲリがいるが、インゲリは密かに北欧神話の神オーディンを崇拝し、カーリンを妬んでいる。映画は、インゲリがかまどの火を熾しながらオーディンに祈る場面で始まる。
朝、テーレとその妻のメレータは、カーリンに教会へ蝋燭を寄進するように命じる。教会までは一日の道のりである。インゲリはカーリンへの嫉妬から、弁当のサンドイッチにヒキガエルを挟み、ささやかな仕返しをする。二人は馬で森を進む。
小川沿いの水車小屋の近くでインゲリは怯え、カーリンに警告するが、カーリンは自分だけ先に進み、インゲリはそこに残される。インゲリは隻眼の男と出会う。男は、いまは名を持たないと答え、他人に見えないものが見え、聞こえないものが聞こえると語る。男が性的に迫り、力を与えると持ちかけると、インゲリは恐れて逃げ出す。
一方、カーリンは三人の羊飼いと出会い、自分の弁当を彼らに分ける。年長の二人がカーリンを強姦して殺害する。追いついたインゲリは、離れた場所からその一部始終を目撃するが、介入しない。二人の男はカーリンの衣服を持ち去ろうとする。遺体のそばに残された少年は、動揺し、遺体に土をかけて埋めようとするが、途中でやめて、二人を追って逃げる。
羊飼いたちは、それとは知らずにカーリンの家に一夜の宿を求める。夜、羊飼いの一人がメレータにカーリンの衣服を売ろうとする。メレータは最悪の事態を疑い、三人が眠ると、彼らを食堂に閉じ込め、疑いをテーレに打ち明ける。
テーレが真相を確かめようとしていると、戻ってきたインゲリがテーレの前で泣き崩れ、強姦と殺害の顛末を語る。インゲリは嫉妬から密かにカーリンの死を望んでいたことも告白する。激怒したテーレは、夜明けとともに羊飼いたちを殺すことを決める。テーレは一人を包丁で刺し殺し、もう一人を火の中に投げ込む。さらに少年を持ち上げ、壁に叩きつけて殺害する。メレータはその光景を恐怖のなかで見つめている。
その後、テーレと家の者たちは、インゲリの案内でカーリンの遺体を探しに出る。遺体を見つけたテーレは泣き崩れ、神に呼びかける。テーレはなぜ神がこのような事態を許したのか理解できないと言い、遺体のあった場所に教会を建てると誓う。テーレとメレータが遺体を持ち上げると、カーリンの頭があった場所から泉が湧き出す。インゲリはその水で自分の身体を洗い、メレータはカーリンの顔の土を拭う。
