概説
『狂つた一頁』は、1926年の日本の前衛的なサイレント映画である。精神病院を舞台に、ある家族の物語を現実と幻想を交錯させつつ描いている。
衣笠貞之助が監督を務め、衣笠が横光利一や川端康成などの新感覚派の小説家たちと結成した新感覚派映画聯盟が製作した。
原作は川端康成。脚本は衣笠貞之助・川端康成・沢田晩紅・犬塚稔。
撮影は杉山公平。撮影補助は円谷英一(後の円谷英二)。
1926年に日本でインタータイトル(中間字幕)なしの無声映画として公開された。70分。
あらすじ
嵐の夜。雨が激しく降り、稲妻が夜空に光っている。精神病院の一室で、黒のワンピースを着た踊り子(南栄子)が狂ったように踊り続けている。心の中では、彼女は美しく着飾って、舞台の上で音楽に合わせて踊っている。
隣の部屋では、女性患者(中川芳江)が赤ん坊の幻覚を見ている。男(井上正夫)が鉄格子越しに女を見つめている。男は女の夫だったが、女にはそれが夫であることが分からない。
男の妻は、夫が船乗りだった頃に夫から受けた虐待によって正気を失っていた。そのことに罪悪感を抱いた男は、妻を見守るために病院で小間使いとして働いていた。
翌日、男の娘(飯島綾子)が母に面会するために病院にやって来る。娘は、家族を捨て置いて長い間船旅に出ていた父がそこで働いているのを見て驚く。娘は裕福な青年との結婚を控えていた。
小間使いは娘と妻を引き合わせるが、妻にはそれが娘であることが分からない。小間使いは、妻の心の病によって娘の結婚が破談になることを恐れている。
踊り子の踊りに触発されて、患者たちが暴れ出す。小間使いが一人の男性患者と喧嘩し、そのことで医師(関操)から厳しく叱責される。
小間使いは、妄想と現実を区別することが次第に困難になってゆく。
小間使いは福引きで一等賞品の箪笥が当たり、娘の嫁入り道具が手に入って狂喜するが、それは小間使いの妄想だった。
小間使いは、娘の結婚の妨げになる妻の存在を隠すため、妻を病院から連れ出そうとするが、医師に制止される。
空想の中で、小間使いは医師をモップで殴って殺し、患者たちに能面を配って彼らを笑顔にする。
解説
『狂つた一頁』は、大正モダニズムを背景として制作された、日本初の本格的なアヴァンギャルド映画である。
多重露光やフラッシュバック、オーバーラップなどの当時としては斬新な技法を駆使して制作されている。
ロベルト・ヴィーネの『カリガリ博士』(1920年)やF・W・ムルナウの『最後の人』(1925年)などのドイツ表現主義映画の影響を受けており、ホラー映画のような怖さを感じさせる。
当時の日本で、このような技巧を凝らした、芸術性の高いサイレント映画が制作されていたということに驚かされる。
本作のプリントは、1950年に京都の松竹下加茂撮影所のフィルム倉庫で発生した火災で焼失したと思われていたが、1971年に衣笠の自宅の蔵でプリントが発見された。「ニューサウンド版」と呼ばれる、このプリントを基にした59分の再編集版が1971年に日本で、1970年代前半にヨーロッパとアメリカ合衆国で上映された。
KK Null(日本)、イン・ザ・ナーサリー(In the Nursery、イギリス)、スーパーチャンク(Superchunk、アメリカ合衆国)などのミュージシャンたちが、本作のサウンドトラックをそれぞれ独自に録音している。
日本のロックバンドの頭脳警察は、2010年に東京で行われた「アートシネマフェスタ2010」のプレイベントで、『狂つた一頁』とのコラボレーションとして本作の上映中にライヴ演奏を行い、2012年にその音源をアルバムとしてリリースした。
アメリカ合衆国の映画保存家のデイヴィッド・シェパードは、ビデオ・映画販売会社のフリッカー・アレイと共同で本作の16ミリプリントからスキャンした71分のデジタル復元版を制作し、復元版は2018年にフリッカー・アレイからBlu-rayで発売された。
映画批評家・ジャーナリストのベン・ケニスバーグは『ニューヨーク・タイムズ』紙で、本作を「サイレント映画製作における表現および実験の可能性を極限まで推し進める映画」と評した。