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ペトラ・フォン・カントの苦い涙(1972年)

『ペトラ・フォン・カントの苦い涙(Die bitteren Tränen der Petra von Kant)』は、ファッションデザイナーとその秘書、モデル志望者の3人の女性の愛憎関係を描いた1972年の西ドイツのドラマ映画。出演者は全員女性。監督・脚本はライナー・ヴェルナー・ファスビンダー。ファスビンダー自身が制作した同名の5幕の戯曲(1971年)を映画化した作品。124分。

著名なファッションデザイナーのペトラ・フォン・カント(マーギット・カーステンゼン)は、秘書のマレーネ(イルム・ヘルマン)とブレーメンのアパートで暮らしていた。ペトラはマレーネを奴隷のように扱っていたが、マレーネはペトラに忠実に従っていた。2人は互いにサドマゾヒズム的な共依存の関係にあった。

フランスの古典主義の画家、ニコラ・プッサンの『ミダス王とバッカス』(1629–30年)の巨大な複製画が、ペトラの部屋の壁一面を占めている。

ペトラには、交通事故で亡くなった最初の夫ピエールとの間にガブリエレ(ガビー)(エファ・マッテス)という名の娘がいた。ガビーは寄宿学校に通っていた。

ペトラの友人のシドニー(カトリン・シャーケ)が、3年振りにペトラに会うためにペトラの家を訪れる。ペトラはシドニーに、2番目の夫フランクが自分を支配下に置こうとしたために離婚したこと、その後に男嫌いになったことを話す。

シドニーは友人のカーリン・ティム(ハンナ・シグラ)をペトラに紹介する。カーリンは23歳のモデル志望者で、夫とオーストラリアに住んでいたが、5年振りにドイツに帰国していた。ペトラはカーリンに恋をする。

カーリンを自分のものにしたいペトラは、カーリンを自分の家に住まわせ、カーリンがモデルになるための支援をする。

カーリンはペトラの支援を受けてモデルの仕事を始めるが、ペトラのことを冷たくあしらう。ペトラはカーリンが男と性的な関係を持っていることを知ってショックを受ける。

ある日、カーリンの夫のフレディから電話があり、カーリンは夫がチューリッヒに滞在していることを知る。カーリンは夫のところに戻るためにペトラの家を出て行く。

カーリンを失ったペトラは失意のどん底に突き落とされる。ペトラは酒を大量に飲みながら、カーリンからの電話を待ち続ける。

ペトラの35歳の誕生日に、娘のガビー、友人のシドニー、母のヴァレリー(ギーゼラ・ファッケルディ)がペトラの家にやって来るが、ペトラは彼らに筋違いの怒りをぶつけて、口汚い言葉で罵る。

夜になり、ペトラはカーリンを愛するのではなく所有しようとしたことが間違いだったことを悟る。ペトラはマレーネに謝り、これからはパートナーとして一緒にやっていきたいと言う。それを聞いたマレーネは、スーツケースに荷物を詰め込み、ペトラのもとを去る。

『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』は、ダグラス・サーク監督のメロドラマ映画の強い影響下で制作された心理ドラマ映画である。

本作のタイトルは、フランク・キャプラ監督のアメリカ映画『風雲のチャイナ(The Bitter Tea of General Yen)』(1933年)に由来している。

本作は室内劇(Kammerspiel)に似た形式で制作されている。映画の場面はペトラの部屋の中にほぼ限定されており、各場面は主にカットの少ない長回しのショットで構成されている。

人工的な照明と装飾的な衣装、美術的な色彩設計による豪華で頽廃的な映像が印象的である。

「ある症例(Ein Krankheitsfall)」というドイツ語原題の副題に示されているように、本作ではペトラのサディスティックで自己愛的な性格が病的に誇張されている。そのため本作は、男性優位社会の支配から逃れて「選択的レズビアン」になろうとしたが、その支配から逃れられなかった女性の悲劇を戯画的に描いた映画のように見える。しかし、孤独や人間関係における支配や依存といったテーマの普遍性によって、本作は幅広い層の人々に情動的に訴えかけるドラマ映画となっている。

本作は第22回ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に出品された。

本作は1972年のドイツ映画賞で主演女優賞(マーギット・カーステンゼン)、助演女優賞(エファ・マッテス)、撮影賞(ミヒャエル・バルハウス)の3冠を獲得した。

Three Reasons: The Bitter Tears of Petra von Kant