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アイガー北壁(2008年)

概説

『アイガー北壁』(ドイツ語原題:Nordwand、英題:North Face)は、1936年のスイス、ベルナーアルプスのアイガー北壁初登攀競争をめぐる実話(1936年のアイガー北壁登攀事故)を基にした2008年のドイツ・オーストリア・スイス合作の史劇映画である。

上映時間は126分(ドイツの公式カタログ、filmportal.deによる)。

監督:フィリップ・シュテルツル。

脚本:クリストフ・ジルバー、ルーペルト・ヘニング、ヨハネス・ナーバー、フィリップ・シュテルツル、ベネディクト・レスカウ。

製作:ダニー・クラウス、ボリス・シェーンフェルダー、ルドルフ・ザンチ、ベンヤミン・ヘルマン。

製作会社:トリルーナ・フィルムAG、メディエンコントーア・ムービー、ドア・フィルム(ドア・フィルム=ヴェスト)、バイエルン放送(BR)、ARD/デゲート、スイス放送協会(SRG SSR)、マジェスティック・フィルムプロダクション、ルナリス・フィルム=ウント=フェルンゼープロダクション。

撮影:コーリャ・ブラント。

編集:スヴェン・ブーデルマン。

録音:ハインツ・エブナー。

音楽:クリスティアン・コロノヴィッツ。

美術:ウド・クラーマー、トミー・フォーゲル。
衣装:ビルギット・フッター。

主要キャスト:ベンノ・フュルマン(トニー・クルツ)、フロリアン・ルーカス(アンドレアス「アンディ」・ヒンターシュトイサー)、ヨハンナ・ヴォカレク(ルイーゼ・フェルナー)、ウルリッヒ・トゥクール(ヘンリー・アラウ)、ジーモン・シュヴァルツ(ヴィリー・アンゲラー)、ゲオルク・フリードリヒ(エディ・ライナー)、エルヴィン・シュタインハウアー、ペトラ・モルツェー、ハンスペーター・ミュラー=ドロサールト(山岳ガイド、ハンス・シュルネッガー役)、エルニ・マンゴルト(クルツの祖母役)。

言語:ドイツ語。

フォーマット:Super-35mm、アスペクト比2.35:1、カラー。

予告編

プロットの概要

1936年のベルリン・オリンピックを間近に控えたナチス政権下のドイツ。政府はアルプス最後の難関とされたアイガー北壁の初登攀を国威発揚の機会と捉え、成功者にはオリンピックの金メダルに相当する栄誉(アルピニズム賞)を約束し、マスメディアを通じて大々的に喧伝する。

ベルヒテスガーデン出身の幼馴染みで山岳猟兵のトニー・クルツとアンドレアス(アンディ)・ヒンターシュトイサーは、すでに「殺人の壁(モルトヴァント)」と恐れられていたこの北壁への挑戦を決意し、軍を離れてスイスへ向かう。麓のクライネ・シャイデックには、二人の幼馴染みでベルリンの新聞社に勤める新米記者ルイーゼ・フェルナーが、上司である御用記者ヘンリー・アラウとともに取材のため滞在している。トニーとルイーゼの間には少年時代からの淡い恋愛感情が燻っている。

二人のすぐ後を、オーストリア隊のヴィリー・アンゲラーとエディ・ライナーが追う形で北壁の登攀が始まる。当初は順調に高度を稼ぐが、落石でヴィリーが負傷し、さらに天候が急変して猛吹雪と雪崩に見舞われる。撤退を試みる四人だったが、登り際に外したロープの回収に失敗し、既知のルートに戻れなくなる(後に「ヒンターシュトイサー・トラヴァース」と呼ばれる箇所)。麓のホテルでは、望遠鏡やニュース映画のカメラを通じて彼らの苦闘を見守るルイーゼやアラウ、そして各国の登山家や報道陣、見物客の姿が描かれ、悪天候の中で下山を続ける四人の運命は、物語の終盤まで観客の緊張感を保ったまま推移していく。

解説

制作の経緯・背景

1936年のアイガー北壁登攀事故は、ドイツ語圏の登山史においてとりわけ広く語り継がれてきた悲劇であり、遭難の顛末を伝える回想録や写真集がこれまでに複数刊行されている。シュテルツルらの制作チームは脚本準備にあたり、既存の登山映画を渉猟する中で、ジョー・シンプソンの遭難体験を描いたケヴィン・マクドナルド監督『運命を分けたザイル(Touching the Void、ドイツ語原題:Sturz ins Leere)』(2003年)の再現映像のリアリズムにとりわけ強い感銘を受け、マクドナルド本人に接触して、俳優を過度な危険に晒すことなくこの臨場感を実現する方法を尋ねたという。この対話が、実際の断崖と冷凍倉庫を組み合わせて撮影するという手法の着想につながったとされる。

撮影は2007年4月17日から同年6月4日にかけて行われた。実景としてはベルヒテスガーデンのホフブロイハウス(ブロイシュテューベル)、ビショフスヴィーゼン=シュトルプの山岳猟兵兵舎、スイス(ベルナーオーバーラント、クライネ・シャイデック周辺)、オーストリアのダッハシュタインなどで撮影されている。北壁を実際によじ登る場面には、俳優本人に加えて実在の登山家たちがスタントダブルとして起用された。危険な岩壁部分は保険会社の条件により俳優本人ではなく代役が務め、主演俳優たちは撮影に際して自己責任での登攀であることを誓約する書面に署名したと伝えられる。

俳優の顔がはっきり映るクローズアップや、凍傷の特殊メイクを施した場面の多くは、オーストリア・グラーツの冷凍倉庫を改装したスタジオで撮影された。倉庫内には氷雪に覆われた岩壁のセットが組まれ、摂氏マイナス10度前後の環境で、送風機と降雪機を用いた撮影が5週間にわたって続けられた。極端な低温下での長期撮影は俳優・スタッフともに消耗の大きい作業であったと関係者は振り返っている。スタジオ撮影の映像は、山中での実写映像と天候条件までできる限り一致させたうえで編集段階で接合され、一部にはグリーンスクリーン合成やCGによる天候効果・セット拡張も用いられている。

特徴

本作の際立った特徴は、実在の遭難事故を題材としながら、史実には見られない二人の人物──幼馴染みの女性記者ルイーゼ・フェルナーと、その上司である御用記者ヘンリー・アラウ──を新たに創造し、彼らを介して登攀劇にメディアと政治の視点を組み込んでいる点にある。

ルイーゼとトニーの淡い恋愛関係、そしてアラウが体現する扇情的でナチス寄りの報道姿勢は、実際の1936年の記録には確認できない脚色であり、監督自身も複数のインタビューで史実からの逸脱を認めている。この点は本作を単純な記録映画的再現から一線を画す劇映画たらしめている一方、後述のとおり批評面では賛否が分かれる要因ともなった。

もう一つの特徴は、ナチス政権によるアイガー登攀の政治利用という主題を明確に前景化している点である。作中では、登攀の成否がベルリン・オリンピックを控えた国威発揚のプロパガンダとして扱われ、アラウをはじめとする報道陣が「登頂に成功するか、命を落とすかすれば一面を飾れるが、途中で撤退すればせいぜい三面の片隅にしか載らない」という趣旨の身も蓋もない発言を口にする場面に、当時のセンセーショナリズム報道への批評的な視線がうかがえる。一方で、この政治的主題の扱いについては、後述の「テーマ分析」で見るとおり、批評家の間でその成否をめぐる評価が大きく割れている。

撮影技法

撮影監督コーリャ・ブラントによるカメラは、登攀者たちのすぐ間近にとどまり続ける密着的な構図を基調としている。俳優や実際の登山家によるスタントダブルの身体的な消耗がそのまま画面に映り込むような撮り方がなされており、特殊効果を多用するハリウッド製の類似作品(しばしば引き合いに出される『バーティカル・リミット』(2000年)など)とは対照的な、生々しく粗い質感を志向した演出であると評されている。

前述のとおり、山中での実写と冷凍倉庫内でのスタジオ撮影とを、天候・光線条件を揃えたうえでシームレスに編集で接合する手法が本作の技術的な核心をなしている。加えて、麓のクライネ・シャイデックの高級ホテルのテラスで登攀を双眼鏡越しに見物する観客・報道陣の場面と、極限状況にある壁上の登攀者たちの場面とを交互に切り替えるクロスカッティングが繰り返し用いられ、見世物として消費される遭難劇と、当事者たちの生死をかけた現実との落差を視覚的に強調している。

ロケーション

実景撮影は、トニーとアンディの故郷であるドイツ・バイエルン州ベルヒテスガーデン(ホフブロイハウスのブロイシュテューベル、ビショフスヴィーゼン=シュトルプの山岳猟兵兵舎)、スイスのベルナーオーバーラント地方(アイガー山麓、クライネ・シャイデック周辺)、オーストリアのダッハシュタイン山塊で行われた。俳優のクローズアップと凍傷場面の大半は、オーストリア・グラーツの冷凍倉庫を転用したスタジオセットで撮影されている。

テーマ分析

本作を貫く主題は、国家によって政治利用される登山という営みと、それに巻き込まれる若者たちの個人的な生と死との緊張関係である。作中でトニーとアンディは当初から国威発揚には無関心で、むしろ登攀そのものへの純粋な情熱によって動かされている人物として描かれる一方、周囲のナチス当局や扇情的な報道陣は彼らを「アルプスにおけるドイツの使者」として利用しようとする。

この点をめぐって、本作は「ベルクフィルム(山岳映画)」というドイツ映画史上の系譜との関係が繰り返し論じられてきた。ベルクフィルムはアーノルト・ファンク、ルイス・トレンカー、レニ・リーフェンシュタールらによって1920〜30年代に確立されたジャンルであり、後にナチス期のプロパガンダ映画とも深く結びついた経緯を持つ、いわば政治的に「汚染された」ジャンルである(シュテルツル自身、インタビューでこの語を用いている)。批評家リューディガー・ズークスラントは、ファンクのベルクフィルムからリーフェンシュタールの『意志の勝利』(ナチス党大会を撮ったプロパガンダ映画)へと連なる視覚的な系譜を指摘したシュテルツル自身の発言を引きながら、監督が音楽ビデオ作品(ラムシュタイン「Du hast」や「Stripped」など)でファシズム的な美学に一定の関心を示してきたことにも言及し、本作が「力・喜び・ドイツ的英雄的精神、犠牲の精神と理性を超えた貫徹意志」といったナチス的な理想を批判的な距離を保たないまま反復しているのではないか、と厳しく評した。映画専門誌フィルムディーンストの批評も同様に、登攀者たちを「アルプスにおけるドイツの使節」として様式化する演出が、克服されたはずの「血と土」的心性を呼び覚ましかねないと指摘している。

対照的に、オンライン批評媒体クリティック・デーは、本作が描く自然像がむしろ荒々しく予測不能で人間に対して非情なものであり、『バーティカル・リミット』のような技巧過多のハリウッド映画とは一線を画す、素朴で生々しい人間対自然の物語として成立していると評価する。

学術的な観点からは、キャロライン・シャウマン(エモリー大学)が『ジャーマン・クォータリー』誌(2014年)に発表した論文「The Return of the Bergfilm: Nordwand (2008) and Nanga Parbat (2010)」で、シュテルツルが明確な反ナチス的意図を持って本作を制作したにもかかわらず、複雑な歴史的文脈を排したアルプス的空間と史実・メロドラマの融合によって、結果的にドイツの登山史というより重い過去を、観客にとって受け入れやすい形に単純化して提示してしまっている、という両義的な評価を示している。

もう一つの軸となるのが、メディアによる悲劇の消費というテーマである。ヘンリー・アラウが体現する扇情主義的な報道姿勢と、それに次第に疑問を抱いていくルイーゼの視点の対比を通じて、本作は当時のナチス統制下の報道のみならず、遭難劇を見世物として消費する視線一般への批評を試みている。

史実との相違点

本作は実在の人物・事件を基にしているが、劇映画としての脚色が随所に施されている。最も大きな脚色は、前述のとおりルイーゼ・フェルナーとヘンリー・アラウという二人の人物が、史実の記録には見当たらない創作上の人物である点である。

そのほか、オーストリア隊のヴィリー・アンゲラーとエディ・ライナーの人物造形についても、史実との相違が指摘されている。特にヴィリーについては、実際の記録上は悪役的に描かれるべき根拠が見当たらないにもかかわらず、劇中でやや対立的な人物として描かれている点に対し、遺族や登山史に詳しい観客から異議が呈されている。

なお、実際のアイガー北壁の初登攀は本作の舞台から2年後の1938年、アンデルル・ヘックマイヤーとルートヴィヒ・フェルクのドイツ隊、ハインリヒ・ハラーとフリッツ・カスパレクのオーストリア隊による混成パーティーによって達成されており、本作はその成功に先立つ悲劇的な失敗の記録として位置づけられる。

公開

本作は2008年8月9日、ロカルノ国際映画祭のピアッツァ・グランデ(屋外上映会場)でワールドプレミアが行われた。劇場公開はスイスが2008年10月9日、ドイツが同年10月23日、オーストリアが同年10月24日である。

アメリカでの劇場公開はミュージック・ボックス・フィルムズの配給により2010年1月29日、限定公開として始まった。

評価

公開当初のドイツ語圏の批評は、賛否が明確に分かれた。プレミア上映を報じた日刊紙ディー・ヴェルトは、屋外会場を埋めた8000人を超える観客が固唾を呑んで見守った熱狂的な反応を伝え、これを大きな成功と評した。一方で、フィルムディーンストや批評媒体アルテショックのリューディガー・ズークスラントらは、前述の「テーマ分析」で見たとおり、本作がベルクフィルムというジャンルの政治的負荷に対して十分な批評的距離を取れていないのではないかという疑念を呈した。批評媒体エーペーデー・フィルムも、本作が色彩・画面比率・カメラワークの点でファンク、リーフェンシュタール、トレンカーらが築いたベルクフィルムの様式を色濃く継承していると指摘しつつ、そのメロドラマ的な演出はジャンルの先例に忠実であると評している。

英語圏での評価はおおむね好意的であった。批評集計サイトRotten Tomatoesでは、本稿執筆時点で批評家スコアが84パーセント(レビュー57件)、一般観客の支持率が82パーセントとなっており、総評は「雪に閉ざされた歴史劇として緊迫感に満ちた見ごたえのある一作」という趣旨でまとめられている。ハリウッド・リポーター誌は、登攀シーンの臨場感を高く評価しつつも、ナチス政治とのテーマ的な結びつけや恋愛描写がやや説得力を欠くと指摘した。批評家の間では、コーリャ・ブラントによる撮影が本作の最大の美点として繰り返し称賛されている。

興行面では、ハリウッド・リポーター誌の報道によれば、ドイツ国内で約300万ユーロ(約430万ドル)の興行収入を記録したとされる。アメリカでの興行収入はRotten Tomatoes掲載の数値で71万1000ドルにとどまっている。

授賞歴としては、ドイツ映画賞(Deutscher Filmpreis)2009にて撮影賞(コーリャ・ブラント)と音響賞(ハインツ・エブナー、グイド・ツェッティアー、クリスティアン・ビショフ、チャンギス・チャロク)を受賞し、美術賞にもノミネートされた。また、ドイツ映画批評家賞(Preis der deutschen Filmkritik)2008では脚本賞と撮影賞を受賞している。

歴史的な位置づけ

『アイガー北壁』は、2010年公開のヨーゼフ・フィルスマイアー監督『ナンガ・パルバート』とともに、2000年代後半のドイツ語圏映画における「ベルクフィルムの再興」として論じられることが多い。前述のシャウマンの論文が指摘するように、両作はいずれも、ナチス期のイデオロギーに汚染されたジャンルの美学的・物語的な骨格を引き継ぎながら、政治的に「無垢」な登山家像を提示することで、ドイツの登山史という重い過去を扱う一種の「過去の克服(フェアガンゲンハイツベヴェルティグング)」の映画的な形を模索した作品であるとされる。

ホームメディア

ドイツでは2009年にマジェスティック配給によるDVDとブルーレイが発売された。

英語圏では2009–2013年に物理メディアが整備され、デジタル配信でも視聴可能となっている。

その他のトピック

制作陣が参考にしたというケヴィン・マクドナルド監督『運命を分けたザイル』(2003年)は、実際の遭難者本人へのインタビューと再現ドラマを組み合わせたドキュメンタリー的手法で高く評価された作品であり、本作の撮影手法(実景とスタジオ撮影の融合)に直接的な影響を与えたとされる点で、両作は比較対照されることが多い。

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あらすじ(ネタバレあり)

プロローグ

ベルリンの映画館で、ニュース映画の上映を見つめる新聞社勤務のルイーゼ・フェルナーの姿が描かれる。ニュース映画は、前年(1935年)にアイガー北壁で凍死したカール・メーリンガーとマックス・ゼートルマイヤーの遭難、および北壁に肉薄したドイツ人パイロットの飛行を伝えるものである。編集会議でルイーゼが二人の著名な登山家、トニーとアンディが自らの幼馴染みであると発言したことから、上司ヘンリー・アラウの目に留まり、彼女は取材班に加わることになる。

登攀の開始

1936年7月14日、麓のクライネ・シャイデックには初登攀を目指す各国の登山家や報道陣、見物客が集まっている。7月18日、好天と判断したトニーとアンディは登攀を開始する。すぐ後をオーストリア隊のヴィリー・アンゲラーとエディ・ライナーが追う。だが間隔を詰めて登ったために、ヴィリーが落石を受けて重傷を負う。

遭難

7月19日、四人は高度3350メートル地点に達するが、ヴィリーの容態は登攀続行が不可能なまでに悪化しており、四人は下山を決断する。しかし7月20日、天候が急激に悪化し、猛吹雪となる。7月21日、下山中の四人を雪崩が襲い、エディは岩壁に頭部を強打して即死、アンディとヴィリーは宙吊りの状態で意識を失う。朦朧とする意識の中、アンディはトニーを守るため自らロープを切断し、ヴィリーとともに滑落する。

トニーの最期

一人残されたトニーは、ロープも尽き、体力も限界に達して身動きが取れなくなる。悪天候のため救助隊は近づくことができず、麓ではルイーゼが救助隊とともにトニーの救出を試みる。7月22日、ようやく天候が回復し、救助隊はトニーに肉薄するが、カラビナにロープの結び目が引っかかり、彼はそれを解く力をすでに失っている。トニーは救助隊の目前で「寒い……」という言葉を残し、息絶える。