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ヨブ記

『ヨブ記』はヘブライ語聖書(キリスト教の旧約聖書)の中でも広く読まれていて文学作品としての評価も高い一篇である。一般的には紀元前六世紀頃にイスラエルで書かれたと推測されているが、作者と成立時期は未詳である。

散文で書かれた二つのパート(序曲と終曲)と、その間に挟まれた韻文調の長い詩文で構成されている。

サタンは神(ヤハウェ)の許しを得て、信心深く非の打ち所のない義人ヨブが苦難にあっても信仰を失わずにいられるかを試す。サタンによって財産を奪われ、10人の子供を殺され、全身を皮膚病に冒されたヨブは、神に向かって悪人が幸福になり善人が不幸になることの不条理を叫ぶ。

ヨブの三人の友人たちは、ヨブの苦難はヨブが犯した罪に対する報いであると考えるが(応報原理)、ヨブは無実を訴え、神を論難する。

Job and His Friends by Ilya Repin (1869)
イリヤ・レーピン『ヨブと彼の友』(1869年)

神はヨブに万物の創造主である神と被造物にすぎない人間のレベルの違いを説き、ヨブの人間中心の思い上がりと神への反抗を戒め、一方ではヨブの応報原理を超えた信仰の純粋性を認めて、最終的にヨブを祝福し、ヨブも悔い改める。

『ヨブ記』は神とヨブが和解することで教訓的な説話として終わっているが、たとえ最後に財産や寿命を倍返しされ、新たに10人の子供を授かったとしても、それによってヨブが受けた傷が癒された筈はない。ヨブの死んだ10人の子供たちは二度と戻ってこないのだ。ヨブの経験は単に理不尽なのだ。その理不尽さは人知を超えた神の意志そのもの、つまり、応報原理や勧善懲悪によっては解釈できない、人間にはどうすることもできない現実性そのものである。

われわれは『ヨブ記』の中にそのような理不尽さも含めた生の、現世の肯定を読みとることはできるかもしれない。自分がなぜこんなひどい目にあうのかというヨブの神に対する問いは、例えていえば、自然災害の被害を被った者がなぜそれを引き起こしたのかと地球に問うようなもので、決して答えが与えられることはない。世界は人間的な意味や道理を超えているのだ。