概説
『極北のナヌーク(極北の怪異)(Nanook of the North)』は、カナダの北極圏で暮らすイヌイットの男とその家族を描いた、1922年のアメリカ合衆国のサイレント映画である。監督・脚本はロバート・フラハティ。フラハティは撮影・編集・製作も担当している。79分。
プロットの概要
ナヌーク(イヌクティトゥット語で「ホッキョクグマ」の意)という名の男が、2人の妻を含む家族とともに、カナダのケベック州北部のハドソン湾に面したアンガヴァ半島で暮らしていた。一年の大半を通して大地が雪と氷に覆われている過酷な自然環境の中で、彼らは必死に生き延びようとしていた。
彼らは各地にイグルー(雪で作られた一種のシェルター)を建てて一時的な仮住まいとしながら、犬ぞりで土地から土地へと移動していた。
ナヌークは銛で食用のセイウチやアザラシ、鮭を狩り、白人との交易所でホッキョクグマやホッキョクギツネの毛皮を必要な日用品と交換していた。
解説
『極北のナヌーク』は商業的な成功を収めた最初の長編ドキュメンタリー映画として知られている。本作は当時外部の人間にはほとんど知られていなかったイヌイットの人々の生活と文化を映像として記録し、劇的に描写した貴重な作品である。
本作はドキュメンタリーにおける事実と演出の関係や、異文化理解における他者の表象=再現前化(representation)などの問題を考える上でも重要な作品である。
『極北のナヌーク』が架空の設定や演出された場面を含んでいることはよく知られている。
イヌイットの男の名はナヌークではなく、アラカリアラクだった。アラカリアラクはイチャヴィムイット族の有名なハンターだった。
本作に登場する5人家族は本当の家族ではなかった。ナヌークの2人の妻はアラカリアラクの妻ではなく、フラハティの内縁の妻だった。
イヌイットの人々は当時すでに狩猟にライフルを使用していたが、フラハティはアラカリアラクに、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化以前に彼の祖先たちが行っていた方法に倣って狩猟を行うように促した。
イグルーは小さすぎて内側からは撮影できず、カメラが入るのに十分な大きさのイグルーを建てても暗すぎて撮影できなかったため、イグルーの中の場面は撮影用に作ったセットを用いて撮影された。
「白人の交易所」のシークエンスでは、ナヌークが蓄音機を初めて見て驚き、レコードを噛む場面があるが、実際にはアラカリアラクは蓄音機が何であるかを知っていた。
以上のことを考慮すると、『極北のナヌーク』はドキュメンタリー映画および民族誌映画のジャンルにおける先駆的な作品ではあるが、ドキュメンタリーの様式が確立される前の時代に作られた、一種のドキュフィクションまたはドキュドラマと捉えるべき作品である。
「ドキュメンタリー」という用語は、スコットランドのドキュメンタリー映画製作者のジョン・グリアソンがフラハティの映画『モアナ 南海の歓喜(Moana)』(1926年)の紹介記事を書いた時に考案した言葉であり、ドキュメンタリーという概念は『極北のナヌーク』の製作時にはまだ存在していなかった。
米国議会図書館は1989年に「文化的・歴史的・美的価値がきわめて高い」作品としてアメリカ国立フィルム登録簿に保存する最初の作品25本を選出し、『極北のナヌーク』をその中に含めている。
2014年に「Sight and Sound」誌で行われた映画批評家による投票で、『極北のナヌーク』は史上最高のドキュメンタリー映画の第7位に選ばれている。