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蛭子能収『私はバカになりたい』(1982年)

概説

『私はバカになりたい』は日本の漫画家、蛭子能収(えびすよしかず)による2冊目の単行本である。

著者について

1947年に熊本県で生まれ、長崎県で育った蛭子能収はつげ義春の『ねじ式』(1968年)に衝撃を受け、1970年に上京した。

蛭子は1973年に青林堂の月刊漫画雑誌『ガロ』に入選作として掲載された読み切り作品『パチンコ』で漫画家としてデビューしたが、当時の青林堂は財政難のために漫画家に原稿料を支払うことができず、蛭子は1970年代末までは漫画制作で収入を得ることはできなかった。

看板屋、ちり紙交換、ダスキン(清掃業務企業)のセールスマンなどの職を経て、1979年に読み切り漫画『不確実性の家族』が自販機本(1970年代中頃から1980年代中頃の日本で自動販売機で売られていた成人向け雑誌)の『Jam』に掲載され、商業漫画家として再デビューした。

蛭子は1979年から1980年代前半にかけて自販機本や成人向け劇画誌、『ガロ』などのアンダーグラウンドな雑誌でシュールな漫画作品を多数発表し、ニュー・ウェイヴ/オルタナティヴ系の漫画家の一人としての地位を確立した。

蛭子は1980年代前半に、絵が下手に見えるが魅力的という意味で「ヘタウマ」と呼ばれたイラストレーター・漫画家の一人としても認知されていた。

1981年に蛭子の最初の単行本『地獄に堕ちた教師ども』が青林堂から刊行され、蛭子はダスキンを退社して漫画家として独立した。

蛭子は1980年代後半以降は俳優、TVタレントとしても活動している。

蛭子は人気エッセイストでもあり、エッセイ本を多数出版している。

蛭子はギャンブル、特に競艇の愛好者として知られている。

解説

単行本『私はバカになりたい』は1982年に青林堂から刊行された。

読み切りの漫画作品13編を収録しており、主に蛭子が1979年の再デビュー後に『Jam』『PUSSY』『フォトジェニカ』などの自販機本、成人向け劇画誌『漫画ピラニア』、『ガロ』に発表した作品で構成されている。

巻末に著者のあとがき「私のイヤーな性格について暴露する二、三の事柄」が付されている。

本書に収録された蛭子の漫画作品は、独特の「ヘタウマ」な画風、悪夢のような幻想、シュルレアリスム、ダークな世界観、ブラックユーモア、露骨な性的描写、残酷な暴力描写、不条理、ナンセンスなどが特徴である。

蛭子によると、蛭子は当時自分が見た夢を基にしてシュールな漫画作品を描いていたそうである。この創作方法はつげ義春の『ねじ式』に強い影響を受けている。

蛭子の初期の作品はどれも注目に値する。蛭子の最初の2冊の単行本、『地獄に堕ちた教師ども』と『私はバカになりたい』は多くの漫画愛好者たちから高く評価されている。

日本のロックバンド、ヒカシューは1983年に本書と同名のシングルをリリースした。このシングルのジャケットのイラストは蛭子が手がけている。

本書は長い間絶版となっていたが、2003年にeBookJapanにより電子書籍として復刊された。

2018年に青林工藝舎から本書の復刻版が刊行された。

2023年に本書の英語版が『I Wish I Was Stupid』というタイトルでイギリスのブレイクダウン・プレスから刊行された。英訳はコミックの歴史家、翻訳者、編集者のライアン・ホームバーグが手がけている。

収録作品一覧

  1. 知識人のレポート –『Jam』7号(1979年9月)
  2. 僕の村は平和だった –『PUSSY』(発表時期不明)
  3. 勉強する乙女たち –『漫画ピラニア』(1981年12月)
  4. ペニスに死す –『漫画ピラニア』(1981年8月)
  5. 不確実性の家族 –『Jam』4号(1979年6月)
  6. 私はバカになりたい –『漫画ピラニア』(発表時期不明)
  7. 食生活と人間 –『フォトジェニカ』(発表時期不明)
  8. 普通の人々 –『漫画ピラニア』(1981年9月)
  9. マッチ売りの主婦 –(発表誌・発表時期不明)
  10. 競艇時代 –『ガロ』(1974年1月)
  11. 芸術家は怒った –『ガロ』(1981年8月)
  12. 少女の秘密 –『PUSSY』(発表時期不明)
  13. サラリーマンは二度イライラする –『Jam』9号(1979年11月)
  14. あとがき「私のイヤーな性格について暴露する二、三の事柄」–(1982年)