概説
『世界残酷物語(Mondo Cane)』は、世界各国の奇習やセンセーショナルな場面をニュース映画のようなスタイルで紹介する1962年のイタリアのドキュメンタリー映画である。イタリア語の原題『Mondo Cane』は「犬の世界」という意味。脚本はパオロ・カヴァラ、グァルティエロ・ヤコペッティ。監督はパオロ・カヴァラ、フランコ・プロスペリ、グァルティエロ・ヤコペッティ。108分。
内容
本作は、以下のような互いに無関係な映像とナレーションで構成されている。
イタリアの俳優、ルドルフ・ヴァレンティノの出身地であるイタリアのターラント県のカステッラネータで開催された追悼イベント。
イタリアの俳優、ロッサノ・ブラッツィがアメリカ合衆国のデパートにやって来て、サインを求めて殺到する女性ファンの大群にシャツを脱がされる。
パプアニューギニアのトロブリアンド諸島のキリウィナ島の海岸で男性狩りをする上半身裸の女性たち。
コート・ダジュールでアメリカ海軍の兵士たちを性的に興奮させるビキニ姿の女性たち。
パプアニューギニアのシンブ州で5年に一度開催される祝祭で、大量のブタが撲殺され、食される。
カリフォルニア州のパサデナのペット墓地で愛犬の埋葬をする愛犬家たち。
台湾の台北の犬肉料理店。
ローマで復活祭用に生きたまま着色されるヒヨコ。
フォアグラの生産のために、筒を使って強制的にエサを食べさせられるストラスブールのガチョウ。
日本の畜産場で、肉を柔らかくするためにマッサージされ、ビールを飲ませられるウシ。
パプアニューギニアのビスマルク諸島のタバール島で、村の独裁者の妻になる女性たちが木製の檻に閉じ込められ、タピオカを食べさせられて太らされる。
ロサンゼルスのヴィック・タニー(アメリカ合衆国のボディビルダー)のヘルスクラブで、再婚するために減量に取り組む肥満体の未亡人たち。
香港の市場で食用として売られている、ワニなどの爬虫類。
ニューヨークの高級レストラン「ザ・コロニー」で裕福なアメリカ人たちに供される、昆虫やヘビ、ネズミなどのゲテモノ料理。
シンガポールで食用のヘビを売っている店。
イタリアのアブルッツォ州の村、コクッロで聖ドミニコの日に生きたヘビを持って聖人の像と行進する人々。
イタリアのカラブリア州の町、ノチェーラ・テリネーゼで、聖金曜日にガラスの破片で脚を叩いて街路に血を流しながら走る、「バッテンティ」と呼ばれる人々。
シドニーの海岸で、若い男性への口移し式の人工呼吸を含む人命救助のデモンストレーションを披露するライフセーバーの女性たち。
ビキニ環礁で行われた原爆実験によって引き起こされた海辺の生物(昆虫、鳥類、水棲生物、爬虫類)の異変。
マレーシアの先住民の海葬の風習と海底墓地。
マレー半島のサメ漁。
ローマのカプチン派修道会の納骨堂で装飾として配置されている人骨。
ローマのティベリーナ島の「サッコーニ・ロッシ(赤い袋)」協会による遺骨の保管と管理。
ハンブルクのレーパーバーンでビールを大量に飲んで泥酔する人々。
日本のサウナ施設「東京温泉」で、男性客にマッサージやボディウォッシュなどのサービスを提供する下着姿の女性たち。
マカオで死者が死化粧を施され、裕福な人々が故人のために紙幣を燃やす。
シンガポールで、死にかかっている人々が「死者の家」に送られ、彼らが早く死ぬようにと祈りながら親族たちがレストランで宴会を開く。
ロサンゼルスの自動車廃棄場で立方体に圧縮される車。
チェコスロヴァキアで、フランスの画家イヴ・クラインが、青のペンキを体に塗った女性モデルを生きた絵筆として用いて、「人体測定」と呼ばれる絵画作品を制作する。
アメリカ人観光客がハワイ旅行のツアーに参加し、ホノルルを観光する。
ネパールで、イギリス軍の傭兵のグルカ兵たちが祭日に女装してダンスを踊り、マチェテ(ククリ)を使って雄牛の頭を一撃で切り落とす。
ポルトガルの町、ヴィラ・フランカ・デ・シーラの闘牛祭の風景。
パプアニューギニアのゴロカ地方でカトリック教会の礼拝に参加する先住民たち。
パプアニューギニアのポート・モレスビー空港の近くの山岳地帯で「カーゴ・カルト(積荷崇拝)」に基づいて飛行機を崇拝する先住民たち。
解説
『世界残酷物語』は、いわゆる「やらせ」の場面や事実の捏造を含む、疑似ドキュメンタリー映画である。衝撃映像を売りにするTV番組やインターネット動画の先駆けのような映画である。本作の公開後の1960年代から1970年代にかけて、本作に似た多くの疑似ドキュメンタリー映画が制作されたため、それらは「モンド映画」と総称された。
ゲテモノ食いや動物虐待などの不快感を催させるショッキングな場面が多いので注意が必要。
リズ・オルトラーニとニーノ・オリヴィエロが手がけたエキゾティックな音楽が印象的である。オルトラーニが作曲した美しいメロディーのテーマ曲「モア(More)」は1964年のグラミー賞でインストゥルメンタル賞を受賞し、1964年の第36回アカデミー賞の歌曲賞にノミネートされた。この曲は多くのミュージシャンによってカヴァーされ、ポップ・スタンダードとなった。