概説
『アルクトゥールスへの旅(A Voyage to Arcturus)』は、スコットランド系イギリス人の作家のデイヴィッド・リンゼイによる哲学的なSF小説である。初版は1920年にイギリスの出版社メシューエンから出版された。
二重星アルクトゥールス(実際には単独の赤色巨星である)を周回する架空の惑星トーマンスを舞台に、惑星に住むさまざまな種族と出会い、道徳(善と悪)、男女関係、快楽と苦痛、人生の意味などについて思いを巡らす男、マスカルの精神的な旅を描いている。
肉体と精神の変容を経て、マスカルは仮象としての物質世界の彼岸に存在する真の実在の探求へと導かれてゆく。
著者について
デイヴィッド・リンゼイは1876年にロンドンで生まれた。ロンドンで保険ブローカーとして働いた後、第一次世界大戦中に二年間英国陸軍で軍務に就いた。1918年から執筆に専念し、1920年に第一作『アルクトゥールスへの旅』を出版したが、初版は600部未満しか売れず、生前に作家として成功を収めることはなかった。
プロットの概要
友人のナイトスポーとともにロンドンのハムステッドで開かれた降霊術の会に参加したマスカルは、そこでナイトスポーの知人のクラッグに出会う。クラッグは二人に、サーターを追ってアルクトゥールスの惑星トーマンス(クリスタルマンの国)へ行こうと誘う。
マスカル、ナイトスポー、クラッグは水晶製の魚雷に乗り、スコットランドの北東海岸のスタークネス天文台からアルクトゥールスに向かって出発する。
目を覚ましたマスカルは自分が一人でトーマンスの砂漠にいることに気付く。そこは二つの太陽、五つの原色、重い重力、強い日光、不可解な自然現象、奇怪な動植物、自然の中で生きる人型の異星人、男でもなく女でもない第三の性、などが存在する不思議な世界だった。
マスカルは、自分の額と首の両側に新しい感覚器官ができており、胸部から触手が生えていることに気付く。
マスカルはジョイウインドという名の女に出会う。マスカルはジョイウインドから、トーマンスの人々はクリスタルマンを神(創造主)として崇めており、クラッグを悪魔と見なしているということを聞く。
マスカルはサーターと呼ばれる謎の人物を探す旅を始める。マスカルは地域によって異なる同行者とともに、さまざまな地域(砂漠、山、川、湖、谷、森、平原、地下の世界)を経巡る。
トーマンスでは居住者たちは地域によってそれぞれ異なる身体器官と信条を持っていた。トーマンス人たちとの交流はマスカルの感覚器官と意識を変容させる。
マスカルは旅の途中で、愛や意志、義務、快楽に対する憎悪などのさまざまな観念に取りつかれ、殺人を犯したり恋に落ちたりする。
マスカルは現実の世界(クリスタルマンの世界)が偽りであり、マスペル(サーターの世界)と呼ばれるもう一つの真の世界が存在することを悟る。
マスペルは死後の世界のようでもある。サーターによってマスペルへと呼び寄せられたマスカルは、自分が死ぬ運命にあることを知る。
旅路の果てで悟りを開いたマスカルは、神と悪魔の戦いのような真の世界と偽りの世界の間の生存闘争を目の当たりにする。
受容
本作は出版当時にはほとんど注目を集めなかったが、イギリスの作家、コリン・ウィルソンが1960年代後半から1970年代にかけて本作を高く評価したことがきっかけとなり、広く読まれるようになった。
ウィルソンは自身の小説『精神寄生体』(1967年)の序文で『アルクトゥールスへの旅』を「20世紀で最も偉大な小説」と評した。
アイルランド系のイギリスの作家、C・S・ルイスは本作に深い感銘を受けたと述べている。『別世界物語』シリーズ(1938–1945年)とその他のルイスの作品には本作からの影響がうかがえる。
『ホビットの冒険』(1937年)や『指輪物語』(1954–1955年)の作者として知られるイギリスの作家、J・R・R・トールキンは、本作を「熱心に」読んだと述べている。
イギリスの小説家、脚本家、映画監督のクライヴ・バーカーは、本作を「傑作」「並外れた作品」「極めて壮大」と評している。
解説
『アルクトゥールスへの旅』は、真の実在を探し求める精神的な旅を他の惑星を舞台にした寓話的な冒険譚として描いたユニークな小説である。
本作では、惑星トーマンスは概念や心的表象が人物や自然現象として具現化する超自然的な世界として設定されている。
SF、ファンタジー、哲学の要素を混ぜ合わせたような小説である。一種のスペキュレイティヴ・フィクション(思弁小説)として捉えることもできる。
『アルクトゥールスへの旅』はスコットランドの作家、ジョージ・マクドナルドのファンタジー小説『リリス』(1895年)から着想を得ている。イギリスの作家、E・H・ヴィシャックは『不思議な天才 デイヴィッド・リンゼイ論』(1970年)の中で、リンゼイが自分に最も影響を与えた作家はジョージ・マクドナルドだと語ったと述べている。
本作に登場する「マスペル」と「サーター」という名前は北欧神話の「ムスペルヘイム(Muspelheim)」(火の国)とその守護者の「スルト(Surtr)」に由来しているようである。
本作はグノーシス主義からの影響を顕著に示している。本作におけるクリスタルマンとマスペル(サーターの世界)の関係は、グノーシス主義の二元論、すなわちデミウルゴス(物質世界を創造した偽の神としての)とプレーローマ(神の力の全体または光の領域としての)の対立を反映している。
本作には東洋哲学からの影響も見られる。物語の結末で主人公のマスカルはヒンドゥー哲学の「解脱」または仏教哲学の「悟り」に似た境地に到達する。
快楽から苦痛と死に向かってゆく、本作におけるマスカルの旅が、アルトゥール・ショーペンハウアーが『意志と表象としての世界』(1818年)で唱道した「生の意志」の禁欲的な否定や、ジークムント・フロイトが『快原理の彼岸』(1920年)で提唱した「死の欲動」の概念に類似しているのは興味深い。
本作の登場人物たちは概念や心理状態の擬人化であるため、個性や動機が不明瞭で、読者にとっては理解や感情移入がしにくいのが本作の難点である。
しかし、独自の形而上学的な世界観を壮大なフィクションとして構築するその驚嘆すべき想像力によって、『アルクトゥールスへの旅』は20世紀の文学史の中でも傑出した作品となっている。