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素晴らしき放浪者(1932年)

概説

『素晴らしき放浪者』(フランス語原題:Boudu sauvé des eaux(ブーデュ・ソヴェ・デ・ゾー)、直訳では「水から救われたブーデュ」の意、以下『ブーデュ』)は、ジャン・ルノワール監督による1932年のフランス映画である。

上映時間は資料により80〜85分の幅がある。パテによる2010〜2011年の修復版に関しては、カンヌ映画祭公式資料などで85分と記載されている。

セーヌ川に身投げした浮浪者ブーデュを救った古書店主レスタンゴアが、恩返しのつもりで彼を自宅に住まわせるところから始まる、ブルジョワ家庭と無頼漢との同居を描いた風刺喜劇である。ルネ・フォーショワが1919年に発表した戯曲を原作とし、ミシェル・シモンが製作を務めた。ルノワールにとっては『坊やに下剤を(On purge bébé)』(1931年)、『牝犬(La Chienne)』(1931年)に続くトーキー期初期の作品にあたる。

製作:レ・フィルム・シリウス、レ・プロデュクション・ミシェル・シモン。

監督・脚本:ジャン・ルノワール(脚色にはアルベール・ヴァランタンがクレジットなしで協力)。

原作:ルネ・フォーショワ(戯曲『Boudu sauvé des eaux』、1919年初演)。

撮影:マルセル・リュシアン、ジョルジュ・アスラン。

編集:シュザンヌ・ド・トロワイエ、マルグリット・レノワール。

録音:イゴール・B・カリノフスキー。

音楽:ラファエル。劇中にはヨハン・シュトラウス2世の《美しく青きドナウ》、マルセル・ベルタル作詞・レオ・ダニデルフ作曲の《Sur les bords de la Rivieraa(リヴィエラの海岸で)》、ルノワール自身が作詞した劇中歌が用いられている。

主要キャスト:ミシェル・シモン(ブーデュ)、シャルル・グランヴァル(エドゥアール・レスタンゴア)、マルセル・エニア(エマ・レスタンゴア)、セヴェリーヌ・レルシンスカ(アンヌ=マリ、女中)、ジャン・ゲレ(ヴィグール)、マックス・ダルバン(ゴダン)、ジャン・ダステ(書店の客の学生)、ジャック・ベッケル(河岸のベンチにいる詩人)。

配給:レ・ゼタブリスマン・ジャック・アイク(1932年公開時)、後年の再上映はパテ配給。

言語:フランス語。

フォーマット:35mmモノクロ、アスペクト比1.19:1(トーキー移行期初期に用いられ、まもなくアカデミー比に置き換えられた規格)。

予告編

プロットの概要

飼い犬を失い、社会そのものに嫌気が差したパリの浮浪者ブーデュは、ある日ポン・デ・ザールからセーヌ川に身を投げる。それを望遠鏡越しに目撃した古書店主エドゥアール・レスタンゴアは、川に飛び込んでブーデュを救出し、自宅に連れ帰る。

リベラルな考えを持つブルジョワであるレスタンゴアは、ブーデュを立派な市民へと更生させようと、髭を剃らせ、散髪をさせ、上等な服を着せる。しかしブーデュはこの厚意に応える代わりに、家庭の秩序をことごとく引っかき回す。女中アンヌ=マリに言い寄り、レスタンゴア夫人エマの寝室にも入り込んで関係を持ってしまう。

レスタンゴアから贈られた宝くじ券が高額当選したことをきっかけに、事態を「体裁よく収める」ため、ブーデュとアンヌ=マリの結婚が取り決められる。だがマルヌ川畔で催された婚礼の水上パーティーの最中、ボートが転覆し、ブーデュはその隙に泳ぎ去り、ブルジョワの身なりを脱ぎ捨てて、再びあてどない放浪者としての自由な生活に戻っていく。

解説

制作の経緯・背景

フォーショワは1919年、リヨンのセレスタン劇場で戯曲『Boudu sauvé des eaux』を発表し、レスタンゴア役を自ら演じた。相手役の浮浪者ブーデュはフェルナン=ルネが演じ、舞台は一定の成功を収めて1923年に同じ顔ぶれで再演されている。転機となったのは1925年3月30日、パリのマチュラン劇場での上演で、初めてブーデュ役にミシェル・シモンが起用されたことだった。ミシェル・シモンの演技によって戯曲の力点はレスタンゴアからブーデュへと大きく移り、舞台は熱狂的な成功を収めた。もっともミシェル・シモン自身がこの役を舞台で演じたのは通算30回程度にとどまっている。

その後、ジャン・ショー監督の映画『Jean de la lune(ジャン・ド・ラ・リュンヌ、月のジャン)』(1931年)で脚本段階から撮影にいたるまで実質的な主導権を握るほど深く関与し、その成功を機に自ら製作者となったミシェル・シモンは、まだ観客の記憶に新しかった『ブーデュ』の映画化に着手する。監督にはジャン・ルノワールを起用した。両者はすでに無声映画『のらくら兵』(1928年)、『坊やに下剤を』(1931年)、『牝犬』(1931年)で協働しており、互いへの敬意と独立志向の強さから、両者の間に明確な上下関係は成立しなかったとされる。

脚本はルノワールとアルベール・ヴァランタン(クレジットなし)が担当し、戯曲からの改変が加えられた。戯曲ではレスタンゴアが救済者として主導権を握り、ブーデュを社会規範へ引き戻す物語構造になっていたのに対し、映画版はブルジョワ化の物語を放棄し、ブーデュの型破りで制御不能な性質そのものに焦点を当てている。結末も大きく書き換えられ、戯曲は結婚式で幕を閉じるが、映画はそこからさらに、ブーデュがボートの転覆に乗じて逃げ出す顛末を付け加えている。加えて、レスタンゴアを牧神パンに、アンヌ=マリを妖精クロエになぞらえる牧歌的なプロローグが新たに挿入され、婚礼の場面ではブーデュ自身が豊穣神プリアポスの名で呼ばれるなど、神話的な枠組みが重ねられている。

フォーショワはこの映画版を見て強い不満を示し、自らの解釈を取り戻すべく新たな幕を書き加えて戯曲を再演させたと伝えられる。ルノワールの回想録『Ma vie et mes films(私の人生と私の映画)』(邦訳タイトル:ジャン・ルノワール自伝)によれば、数十年後にフォーショワが映画を見直す機会があり、その熱狂的な観客の反応に驚かされ、最終的には映画『ブーデュ』を「原作からの非常に自由な翻案」として、ルノワールに属するものと認める発言を残したという(1955年11月の『Cinéma 56』誌)。

撮影は1932年の夏、パリ郊外エピネイのスタジオと、ブローニュの森、セーヌ河岸、マルヌ河畔のシュヌヴィエール=シュル=マルヌで行われた。

本作は、ミシェル・シモンが自らの名義で製作した唯一の映画であり、ジャン・ゲレが共同製作者としてクレジットされている。

撮影中、ルノワールとミシェル・シモンは、公序を乱しかねないとされた場面のためにパリ警視庁(プレフェクチュール・ド・ポリス)に呼び出されている。この時に問題視された場面の一部は、実際に撮影されていたかどうかも長らく不明のままだったが、2010〜2011年の修復作業の過程で存在が確認され、後述のとおり修復版に復元されている。

特徴

『ブーデュ』の最大の特徴は、戯曲の力点をレスタンゴアからブーデュへと完全に移し替えた点にある。ルノワールにとってブーデュが体現するのは「秩序の対義語としての混乱」ではなく、自由・不遜・不服従そのものである。俳優ミシェル・シモンの実生活──かつてボクサーであり、右派的なアナーキストの心情の持ち主であり、莫大なポルノグラフィのコレクションを持つ好色家、周囲を憚らない性的奔放さで知られた人物であった──は、しばしばブーデュという役柄と地続きに語られる。ルノワール自身、ミシェル・シモンを「役者としての天才」と評し、この映画はその才能を活かすために構想されたと述べている。

前述のとおり、レスタンゴアを牧神パンに、アンヌ=マリを妖精クロエになぞらえる牧歌的なプロローグと、ブーデュを豊穣神プリアポスと呼ぶ婚礼の場面によって、市民劇的な題材にギリシア神話の枠組みが重ねられている点も本作の際立った特徴である。性愛の主題は特定の登場人物に限定されず、レスタンゴア、エマ、アンヌ=マリ、ブーデュのほぼ全員が肉体的な欲望に率直に身を委ねる存在として描かれ、劇中に音楽が流れる場面の多くが、性的な緊張や充足と結びついている。

撮影技法

撮影は長回しを基調とし、カット数を最小限に抑えている。カメラはゆるやかなパンやフレーム内の動きによって人物の動きを追い、視線とその対象を切り返しで繋ぐ編集は意図的に避けられている。この様式は、登場人物の行動を分断せず、観察的な距離を保ったまま描写することを目指したものである。

とりわけ有名なのが、身投げ前のブーデュ/ミシェル・シモンが実際のパリの雑踏を歩く場面で、遠くの建物の窓や、目立たないよう隠された自動車の中からカメラを回し、周囲の通行人には気づかれないまま撮影されたショットである。これらのショットは技術的な離れ業であると同時に、社会からはみ出した個人と、彼に対してほとんど無関心な視線しか向けない群衆との対比を際立たせている。

画面構成には、ルノワールの父である画家オーギュスト・ルノワールの印象派絵画からの影響も指摘されており、特にマルヌ河畔での婚礼の場面は、《グルヌイエール》や《アニエールのセーヌ河》を思わせる光と水の描写になっている。

ロケーション

撮影はパリ市内(ポン・デ・ザール、コンティ河岸、カルチエ・ラタン周辺の古書店街)、パリ郊外エピネイのスタジオ、ブローニュの森、そして最終場面の舞台となるマルヌ河畔のシュヌヴィエール=シュル=マルヌで行われた。婚礼と船の転覆の場面が撮影されたマルヌ川は、印象派の画家たちがしばしば主題とした行楽地であり、「撮影技法」の項で触れたオーギュスト・ルノワールの絵画が実際に描いた場所とも重なる。

テーマ分析

本作を貫く主題は、ブルジョワ的な秩序と、それに従属しない自由な生との対立である。批評家ジャック・ルルセルは、ルノワールの作品群における水の主題について、あらゆる人間の生を超えて存続し、その曲がりくねった流れによって家畜化されることを拒む要素であると述べている。ブーデュが水からやって来て、レスタンゴア家という「巣」から再び水へと帰っていく構造は、この水の主題と重ね合わせて読むことができる。

批評家リチャード・ボストンは、ブーデュを1960年代のヒッピー的存在になぞらえたポーリン・ケイルの見方に異を唱え、ブーデュはそもそも既存の価値観を「拒絶」したことなど一度もなく、フランス語で言うマルジナル(社会の周縁にいる者)に近いと論じている。ボストンによれば、ブーデュはチャップリンが蹴りつける浮浪者や、ローレル&ハーディ、マルクス兄弟、あるいはタチのユロ氏と同様、秩序や規律の対象になりえないものを体現する「混沌の代行者」であり、観客が抱く秘めた欲望を代わりに演じるアーキタイプだとされる。

性愛の主題も本作の重要な軸である。批評家アンドレ・バザンは、劇中で音楽が流れる場面のほとんどが性的な欲望の充足と結びついていることを指摘しており、恋愛や性の描写における本作のあけすけな明るさは、当時としては際立ったものであった。

公開

フランスでの初公開は1932年11月11日、パリのコリゼ劇場でのことである。

アメリカでの劇場公開は1932年の製作から大幅に遅れ、1967年になってようやく実現した。日本での劇場初公開はさらに遅く、1977年3月26日、フランス映画社の配給によるものである。

評価

公開当初の反応は芳しくなく、批評家・観客の双方が本作をやや不条理で、いたずらに間延びしており、意図の読み取りにくい作品と受け止め、次第に関心を失っていったとされる。

批評的な評価としては、公開当初は否定的、あるいは無関心な反応が大勢を占めていた。

初期の興行成績は、具体的な数値として裏付ける資料が確認できないため不明である。

なお、ミシェル・シモン自身が繰り返し語った「公開後わずか3日でパリの映画館から姿を消し、怒った観客が座席を引き裂いた」という逸話は、後年の検証によって史実として裏付けられていない。実際に起きたのは、より穏やかな困惑と無理解であり、暴動的な拒絶反応ではなかったとされる。

本作が古典としての地位を確立していく過程は緩やかなものだった。アンドレ・バザンによるルノワール論や『カイエ・デュ・シネマ』誌上での再評価、そしてヌーヴェルヴァーグの映画作家たちがルノワールを自分たちの精神的な父と見なしたことが、本作の再評価を後押しした。1967年のアメリカ公開時には広く高い評価を受け、『カイエ・デュ・シネマ・イン・イングリッシュ』誌(1967年3月号)にアンドリュー・サリスの批評が掲載されている。批評家ポーリン・ケイルは、本作を「初期のヒッピー的人物をブルジョワが更生させようとする愛すべき寓話」であると同時に「過ぎ去ったフランスを写し取った記録」でもあると評した。

現在では映画批評サイトのRotten Tomatoesにおいて満点評価を得ている作品の一つに数えられている。批評家アンリ・アジェルらの立場に代表されるように、本作はしばしばアンドレ・バザンのリアリズム映画論──長回しと被写界深度を重視する演出理論──を裏付ける実例として言及される。

歴史的な位置づけ

『ブーデュ』はルノワールにとって初期のトーキー作品の一つであり、『坊やに下剤を』(1931年)、『牝犬』(1931年)に続く作品にあたる。

1936年の『ランジュ氏の犯罪』や人民戦線のためのプロパガンダ映画『人生はわれらのもの』、そして1937年の『大いなる幻影』へと連なる、ルノワールの人民戦線期・社会派路線に先立つ作品として位置づけられる。

長回しと被写界深度を重視する演出は、後年アンドレ・バザンが理論化する「リアリズムの映画」の先駆例として言及されることが多く、この点で本作は、ヌーヴェルヴァーグの映画作家たちがルノワールを敬愛する根拠の一つともなった。

ホームメディア

オリジナルのニトレートネガの一部リール(特に音声ネガ)が失われており、残存する磁気テープも経年劣化により高音域の再生に問題を抱えていた。2010〜2011年、パテ社の監修のもと、ボローニャのイマジーネ・リトロヴァータ社とパリのディジマージュ社によって2Kデジタル修復が行われ、オリジナルのニトレートネガと保存用複製素材(マロン)を基に作業が進められた。

この修復では、当時のトーキー初期に用いられていた1.19:1のアスペクト比が復元されたほか、修復作業の準備段階でN.T.ビン(パテ・カタログの修復プログラム顧問)が発見した資料をもとに、公開時に削除されていた場面──ブーデュがバルザックの『結婚の生理学』に唾を吐きかける場面──が復元されている。この場面はそれまで台詞の中で言及されるのみで、実際の映像としては存在が確認されていなかったものである。

北米では2005年にクライテリオン・コレクションからDVD(リージョン1)が発売された。

フランスでは2006年にパテ・ディストリビューション/フォックス・パテ・ヨーロッパからDVDが、2014年には同じくパテ社から2K修復版のブルーレイが発売されている。

日本では2000年にIVCからDVDが、2016年に同じくIVCからブルーレイが発売された。

リメイク

本作は2度リメイクされている。1本目は1986年公開のアメリカ映画『ダウン・アンド・アウト・イン・ビバリーヒルズ(Down and Out in Beverly Hills)』で、ポール・マザースキーが監督し、ニック・ノルティがブーデュに相当する役を、リチャード・ドレイファス、ベット・ミドラーらが共演した。この作品は好評を博し、1987年には短命に終わったテレビドラマ版も制作されている。

2本目は2005年公開のフランス映画『ブーデュ(Boudu)』で、ジェラール・ジュニョ監督、フィリップ・ロペス=キュルヴァル脚本により、ジェラール・デパルデューがブーデュ役を演じた。

その他のトピック

ブーデュという人物は、ルノワールの前作『牝犬』(1931年)の結末で、ミシェル・シモン演じる主人公モーリス・ルグランが浮浪者としてパリの路上に消えていく短い場面に、その映画的な起点があるとする見方がある。

なお、本作はコメディ・フランセーズ座員でありながら映画出演には抑制的だったシャルル・グランヴァルの演技についても評価されており、レスタンゴア役の抑制の効いた解釈が、本作を単純なアナーキズム宣伝映画に陥らせず、対立する双方の言い分に等しく目を配るルノワール的な均衡を保つ役割を果たしたと評されている。

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あらすじ(ネタバレあり)

プロローグ

古書店主エドゥアール・レスタンゴアが、牧神パンに扮した空想の中で、妖精クロエに見立てた女中アンヌ=マリを追いかける牧歌的な場面から物語は始まる。

ブーデュの身投げ

パリの浮浪者ブーデュは、飼い犬「ブラック」を見失い、社会そのものへの嫌悪から、ポン・デ・ザールからセーヌ川へ身を投げる。自宅の窓から双眼鏡でこの様子を見ていたレスタンゴアは、川に飛び込んでブーデュを救出し、自らの書店兼自宅へと連れ帰る。

レスタンゴア家での同居

レスタンゴアはブーデュを更生させようと、髭を剃らせ、髪を整えさせ、上等な服を着せる。しかしブーデュは礼儀作法を無視し、家中を引っかき回す。女中アンヌ=マリに言い寄り、彼女に口づけをねだる場面では、ブーデュは以前飼っていた犬に口づけされたことがある、と答えて彼女をからかう。

やがてブーデュはレスタンゴア夫人エマの寝室にも侵入し、抵抗する彼女を強引に口説き落とす。この場面でカメラは二人から離れ、壁に描かれたズアーブ兵の壁画へと視線を移していく。

宝くじの当選と結婚の取り決め

レスタンゴアがブーデュに与えた宝くじ券が高額当選する。世間体を保つため、ブーデュとアンヌ=マリを結婚させることが決められる。ブーデュは一度は抵抗するものの、最終的にはこの結婚を受け入れる。

マルヌ河畔の婚礼とエピローグ

結婚式はマルヌ河畔で、水上パーティーとともに執り行われる。祝宴の最中、ボートが転覆する騒ぎが起こり、ブーデュはその混乱に乗じて泳ぎ去る。ブルジョワの身なりを脱ぎ捨てたブーデュは、誰にも縛られない放浪者としての生活に戻り、川の流れに身を任せてどこへともなく去っていく。