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武田泰淳『ひかりごけ』(1954年)

概説

『ひかりごけ』は、日本の小説家の武田泰淳が1954年に発表した中編小説である。

第二次世界大戦末期の1943–1944年に北海道の知床半島で実際に起こった飢餓状況下の食人事件、いわゆる「ひかりごけ事件」(知床食人事件)を題材としている。

物語は作家である「私」が北海道を訪れる私小説風の紀行文で始まる。後半は戯曲形式のドラマとなっている。

飢餓という極限状況で生き延びるためにやむを得ず行われた食人行為を倫理的に断罪できるのかという問題を追究した、思考実験的な小説である。

あらすじ

本作は、冒頭の紀行文(タイトルなし)と2幕の戯曲、「第一幕(マッカウス洞窟の場)」、「第二幕 法廷の場」の三部構成となっている。

紀行文

北海道の羅臼村を訪れた「私」は現地の中学校の校長の案内でマッカウシ洞窟を訪れ、そこで金緑色に光るひかりごけを見る。

校長から知床食人事件の話を聞いた「私」は、アイヌ語学者Mさんの話を思い出す。M氏は、アイヌ民族に関する研究発表会で日本人研究者が口にした、アイヌ民族の食人に関する無根拠な話に激怒したのだという。

校長の紹介でS青年に面会した「私」は、Sが編纂した『羅臼村郷土史』(1950年)を読み、知床食人事件の詳細を知る。

「私」は、この事件では人を食べるために殺人が行われたのではないかというSの想像に興味をひかれる。

旅行から帰ってきた「私」はこの事件を小説化することを考える。

「私」は食人が殺人よりも忌み嫌われる理由を、食人を未開野蛮な行為と見なす文明社会のイデオロギーと関連づけて考察する。この文脈の中で、「殺人の罪は犯したが飢餓状況下で食人の罪は犯さなかった」人物たちが描かれている2つの小説、野上弥生子『海神丸』(1922年)と大岡昇平『野火』(1951年)に対する批判的な言及がなされる。

「私」はこの事件を上演不可能な「読む戯曲」という形式(レーゼドラマ)で文学作品にすることを決意する。

第一幕(マッカウス洞窟の場)

船長と船員3人(西川、八蔵、五助)が洞窟の中にいる。

五助が死ぬ。

船長と西川は五助の肉を食べるが、八蔵は食べずに餓死する。

八蔵は死の直前に、西川の首の後ろに光の輪があるのを見る。それは昔からの言い伝えにある、人の肉を喰った者の首の後ろに点る、ひかりごけの光に似た金緑色の光だった。

船長と西川は死んだ八蔵の肉を食べて生き延びる。

八蔵の肉が尽きた後、西川は船長に殺されて喰われることを恐れて海に身を投げようとするが、船長は西川を殺す。

第二幕 法廷の場

法廷で船長の裁判が開かれる。

検事は船長が犯した殺人と食人の罪について述べる。

船長は自身の罪を認めるが、他人の肉を食べた者か、他人に食べられてしまった者に裁かれたいと言い、検事を激怒させる。

船長は自分の首の後ろに光の輪が見えるはずだと主張するが、それは誰にも見えない。

検事、裁判長、弁護人、傍聴人たちの首の後ろに光の輪が点る(光の輪は読者にしか見えない)。

船長は人々にもっと自分をよく見ろ、光の輪が見えるはずだと促す。光の輪が着いた群衆が船長を取り囲み、おびただしい数の光の輪が密集する。

解説

ヒカリゴケについて

ヒカリゴケ(光苔)は、わずかな光をよく反射するため洞窟のような暗所で金緑色に輝く、希少なコケ植物である。ヨーロッパ、北米、シベリア、日本などの北半球の冷涼な地域に分布している。

ひかりごけ事件(1943–1944年)について

ひかりごけ事件(知床食人事件)は、太平洋戦争末期の1943年(昭和18年)12月に北海道・知床半島付近で座礁した日本陸軍の徴用船の生存者が飢餓状態の中で死亡者の遺体を食べたとされ、裁判となった事件である。

1944年に船長が殺人、死体遺棄および死体損壊の容疑で逮捕された。船長は乗組員の1人の遺体を食べたことを認めたが、殺人は否認。検察は船長を死体損壊容疑で起訴し、裁判所は懲役1年の実刑判決を下した。

ひかりごけ事件は、付随する殺人行為ではなく食人行為のみが法によって裁かれ刑罰の対象となった、近代刑法史上きわめて珍しい事例である。ただし、日本の刑法では他の多くの国々と同様に食人は独立した犯罪として定義されていないため、死体損壊罪が適用された。

武田泰淳が本事件を題材にして書いた小説『ひかりごけ』が有名になったため、本事件はその後「ひかりごけ事件」と通称されるようになったが、武田の小説は史実の再現ではなく創作である。

実際の事件では船長は知床岬にある無人の番屋で乗組員の遺体を食べたと供述しているが、武田の小説(後半のドラマ部分)では食人行為はヒカリゴケの自生地として知られる羅臼村(現在の羅臼町)のマッカウス洞窟(別名:マッカウシ洞窟)で行われたという設定になっている。

著者について

武田泰淳(たけだ・たいじゅん、1912–1976年)は、日本の第一次戦後派作家の一人とされる小説家であり、浄土宗の僧侶である。

自身の左翼運動からの転向と戦争体験、中国文学からの影響、独自の宗教解釈を背景に、人間存在の複雑さを多角的に捉える、思想的な深みのある小説群で知られている。

1912年、東京で浄土宗の寺の三男として出生。

高校在学中から中国文学に親しみ、左翼運動に参加。

1931年、東京帝国大学文学部支那文学科に入学するが1年で中退。

1933年に僧侶の資格を得る。

1934年、竹内好らと「中国文学研究会」を結成。

学生時代の左翼運動で3回逮捕され、後に運動から離脱。

1937年、日中戦争で召集され華中戦線に送られるが2年後に除隊。

1943年、中国古代史家の司馬遷と『史記』を論じた評論『司馬遷 史記の世界』を刊行。

1944年に上海に渡り、翻訳や文書作成などの仕事に従事。

1945年に上海で終戦を迎え、翌年に帰国。

1947年に北海道大学法文学部助教授となるが半年で辞職し、帰京して作家生活に入る。

1948年に私小説風の短編『蝮のすゑ(まむしのすえ)』を発表し、戦後派作家として注目を集める。

1952年、戦後の日本を舞台に知識人たちの群像劇を描いた小説『風媒花』(1952年)を発表。

1954年、戦時中の食人事件を題材にした小説『ひかりごけ』を発表。

1955–1958年に、北海道を舞台にアイヌ民族と和人との人種抗争を描いた長編小説『森と湖のまつり』を発表。

1969–1971年に、太平洋戦争末期の富士山麓の精神病院を舞台にした長編小説『富士』を発表。

1971–1972年に、1930年代半ばの日本を舞台に若い仏教僧の青春を描いた未完の自伝的長編小説『快楽』を発表。

1976年に死去。

書誌情報

本作は1954年3月に雑誌『新潮』に掲載され、同年7月に新潮社から出版された短編小説集『美貌の信徒』に収録された。

翻訳

英語版

1967年にアメリカ合衆国の出版社、チャールズ・E・タトル・カンパニー(Charles E. Tuttle Company)から出版された本『This Outcast Generation and Luminous Moss』に、武田の短編小説『蝮のすゑ』の英語版『This Outcast Generation』とともに『Luminous Moss』というタイトルの英語版が収録されている。翻訳者は渋谷雄三郎、サンフォード・ゴールドスタイン(Sanford Goldstein)。

デンマーク語版

2025年にデンマークのシルケフューレ出版社(Forlaget Silkefyret)から本作のデンマーク語版『Lysende Mos』が出版された。翻訳者はマッズ・スカンツ(Mads Schanz)。

背景

極限状況における人間の行為を平時の倫理で裁けるのかという本作のテーマの時代的な背景としては、戦争責任や戦争犯罪の問題についての議論が活発に行われていた1950年代の日本の社会状況がある。

武田は1953年8月から9月にかけて北海道を旅行し、札幌で北海道大学の同僚であったアイヌの言語学者の知里真志保に会い、羅臼村で現地の中学校の校長の案内でマッカウス洞窟を訪れ、校長から知床食人事件の話を聞いている。

本作の冒頭の紀行文は、この武田の北海道旅行に基づいており、私小説風になっている。

紀行文に登場するMは知里真志保が、Sは『羅臼村郷土史』を編纂した佐藤盛雄が、それぞれモデルになっている。

語りの多重性とメタフィクション構造

冒頭の紀行文は語り手である「私」の一人称視点から書かれており、「私」は文学的な創作である後半の戯曲の作者として設定されている。

「私」は紀行文の中で『羅臼村郷土史』から佐藤盛雄の文章を引用しながら知床食人事件について詳述する。

読者は紀行文を読んだ後で、戯曲を演出者として解釈しながら読むことを求められる。

さらに複雑なことに、第二幕の船長は第一幕の船長とは別の語り手である。

第一幕では船長は野性的な方言で話しているが、第二幕の船長は理智的な標準語で話している。

「私」によると、第二幕の船長は第一幕の船長とは別の俳優によって演じられることが望ましい。またその顔は、紀行文の中で「私」をマッカウス洞窟に案内し、知床食人事件の話をした中学校の校長に酷似している必要がある。

解釈

政治的な観点

ひかりごけ事件は、太平洋戦争中に日本陸軍によって徴用された漁船が座礁したことにより起こった事件である。本作の基底には、天皇制下で「文明国」として植民地戦争を行った日本国家の暴力に対する批判がある。

その意味では、本作は単に極限状況における食人の是非を問題にした作品ではなく、戦時下で国家のために軍務に服した者が極限状況で生き延びるためにやむを得ず行った行為を、国家が犯罪として裁き、一方的に罪を負わせる構造を暴いた作品でもある。

「光の輪」とは何か

「光の輪」をキリスト教の原罪のような根源的な罪の象徴として捉え、罪の相対性や裁きの不可能性というテーマを扱った作品として読むのが本作の一般的な解釈であるが、本作における「光の輪」の意味は不分明であり、その解釈は読者に委ねられている。

「光の輪」の解釈において重要な点は、それがヒカリゴケのように、自らが発光するのではなく外部の光を反射することによって輝くものであるため、見る者の立場によって見えたり見えなかったりするということである。

「光の輪」が、他者の生命を犠牲にして生き延びるという生の本質の象徴だとすると、第二幕の結末は以下のように解釈することが可能である。

そのような本質は自然界の生きとし生けるものの宿命であり、誰も代表することができず、倫理的に裁くこともできない。

船長は人間同士の喰う/喰われるという関係を経験した者を特権化し、自らを人類の原罪を引き受ける存在、すなわちキリスト的な犠牲者として聖化しようとするが失敗する。

法廷における「罪を犯した者/犯さない者」、「裁く者/裁かれる者」の区別は曖昧になり、裁きの試みは失敗に終わる。

映像化・舞台化

舞台

劇団四季による舞台化(1955年初演)の他、複数の舞台化作品がある。

オペラ

本作を基にした團伊玖磨作曲、浅利慶太演出のオペラが1972年に初演された。

映画

本作を原作とする熊井啓監督の映画『ひかりごけ』が1992年に公開された。三國連太郎が船長と校長の二役を演じた。

TV番組

2020年にNHK BSプレミアムで本作を紹介する番組「ダークサイドミステリー『“ひかりごけ”の衝撃〜現代の私たちの物語〜』」が放送された。

参考文献

  • 前田角蔵「「ひかりごけ」論 ―〈天皇制下の食人劇〉の行方―」、『近代文学研究』、1990年
  • 鎌田哲哉「知里真志保の闘争」、『群像』、1999年
  • 山城むつみ「『ひかりごけ』ノート」、『群像』、2010年