- 概説
- 日本語訳
- 著者について
- 解説
- 本書の概要
- 文体と構成
- 序文(Preface)
- 第1章 ヘシオドスの嘆き(Hesiod’s Lament)
- 第2章 資本主義の変容(Capitalism’s Metamorphoses)
- 第3章 クラウド資本(Cloud Capital)
- 第4章 クラウド領主の台頭と利潤の終焉(The Rise of the Cloudalists and the Demise of Profit)
- 第5章 一語に何が?(What’s in a Word?)
- 第6章 テクノ封建制のグローバルなインパクト: 新たな冷戦(Technofeudalism’s Global Impact: the New Cold War)
- 第7章 テクノ封建制からの脱却(Escape from Technofeudalism)
- 附記1: テクノ封建制の政治経済学(Appendix 1: The Political Economy of Technofeudalism)
- 附記2: デリバティブの狂気(Appendix 2: The Madness of Derivatives)
- 受容
- 総評
概説
『テクノ封建制: 資本主義を殺したもの(英語原題: Technofeudalism: What Killed Capitalism)』は、ギリシャの経済学者、ヤニス・バルファキスによる一般向けの経済書である。
2023年に初版がイギリスのペンギン・ランダムハウス傘下の出版レーベル、ボドリー・ヘッドより刊行され、2024年に米国版がメルヴィル・ハウス・パブリッシングより刊行された。

日本語訳
日本語版(関美和訳)は2025年に集英社から『テクノ封建制 デジタル空間の領主たちが私たち農奴を支配する とんでもなく醜くて、不公平な経済の話。』というタイトルで刊行された。

著者について
ヤニス・バルファキスは1961年アテネ生まれ。イギリスで経済学を学び、エセックス大学やバーミンガム大学などで博士号を取得した。
1988年にオーストラリアに移住し、シドニー大学で教鞭を執った後、2000年にギリシャに戻りアテネ大学で教鞭を執る。
ギリシャが債務危機にあった時期(2009–2018年)の2015年に急進左派連合(SYRIZA)政権で財務大臣を務め、EUが課した緊縮財政措置に反対したことで世界的に知られるようになった。
2013年にギリシャ語版が刊行された一般向けの経済入門書『娘に経済について語る(Talking to My Daughter About the Economy)』(邦題: 父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。)は25か国以上で翻訳刊行され、世界的なベストセラーとなった。
リバタリアン・マルクス主義者を自称し、グローバル化・金融資本・デジタル資本主義への批判で知られている。
解説
本書の概要
本書は、2008年の金融危機以後、特に2010年代以降に顕在化した資本主義の新しい段階、いわゆるGAFAM(ガーファム: Alphabet(Google)、Apple、Meta(Facebook)、Amazon、Microsoft)に代表される巨大テック企業(Big Tech)が所有するデジタルプラットフォームベースの資本が経済システムにおける支配的な一形態となった状況を、資本主義の終焉と「テクノ封建制(technofeudalism)」への移行という独自の歴史観で捉え、この新しい資本形態の歴史的な成立過程の究明と問題点の分析、この段階から脱却するための処方箋の提案を行っている。
文体と構成
本書は著者が父親に宛てた手紙という形式を取っており、著者に資本主義の本質について教えてくれた父親が1993年に発した、コンピュータ・ネットワークが資本主義をどう変えるのかという問いに著者が答えるという体裁になっている。
経済学の専門的な知識がなくても読める、一般読者向けの分かりやすい文章で書かれている。
本書は序文と7つの章、2つの附記で構成されている。
序文(Preface)
序文では、資本がデジタルプラットフォームベースの新しい形の資本に変容したことにより、資本主義から「テクノ封建制」への移行が起こったとする著者の仮説が概説される。
著者は、プラットフォームは封建領地のようなものであり、この変容によって市場はデジタル取引プラットフォームに、利潤はプラットフォームやクラウドにアクセスするために支払うレント(地代・小作料)に、それぞれ置き換えられたと主張する。
第1章 ヘシオドスの嘆き(Hesiod’s Lament)
第1章は、父親から人類とテクノロジーの関係や資本主義の本質について教えられたという著者の思い出話で始まっている。ここでは著者がリバタリアンのマルクス主義者としての自らの思想を形成するに至った経緯が語られる。
第2章 資本主義の変容(Capitalism’s Metamorphoses)
第2章では、プラットフォーム資本の誕生に至るまでの前史として、第二次世界大戦後から2008年の金融危機までに起こった資本主義の変容が語られる。
ジョン・ケネス・ガルブレイスが「テクノストラクチャー(technostructure)」と呼んだ専門家集団による巨大企業の計画的な運営、メディア広告主導の関心市場(attention markets)の形成、1971年のブレトン・ウッズ体制の崩壊とその後の資本の金融化、そして2008年の金融危機後に中央銀行が経済再建のために投じた巨額の資金が巨大テック企業に流入したこと。
これらの一連の出来事が伝統的な市場と利潤中心の資本主義を弱体化させ、プラットフォーム資本の支配を招いたとする。
第3章 クラウド資本(Cloud Capital)
第3章では、著者はいわゆるプラットフォーム資本を指す著者の独自の概念である「クラウド資本(cloud capital)」を以下のように説明している。
著者によると、共有地(commons)のような公共的な領域だったインターネットの空間を2000年代に巨大テック企業が私有化し、2010年代以降に検索やソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)、電子商取引(Eコマース)、クラウドサービスなどの分野で独占的な支配を確立したことで「クラウド資本」が生まれた。
クラウド資本はアルゴリズムに基づいてプラットフォームのユーザーの好みを調整し、欲望を作り出すことによって行動の修正と注意の誘導をするようになり、ユーザーを「クラウド農奴(cloud serfs)」にして無償労働(投稿やデータ提供)をさせ、彼らからレント(使用料)を徴収している。
自由な売買の場だった市場はプラットフォーム内の閉じた領域に置き換わり、インターネットの共有空間は少数の「クラウド領主(cloudalists)」が支配する「クラウド封土(cloud fiefdoms)」に転換された。
第4章 クラウド領主の台頭と利潤の終焉(The Rise of the Cloudalists and the Demise of Profit)
第4章では、著者は市場競争と利潤追求という資本主義の二本柱が、プラットフォームとレント(地代)に取って代わられた過程を論じ、巨大テック企業の経営者を「クラウド領主」という新支配階級として位置づけている。
ここでクラウド領主として言及されているのは、ジェフ・ベゾス(Amazon)、イーロン・マスク(テスラ、スペースX、X)、マーク・ザッカーバーグ(Meta)のような人々である。
第5章 一語に何が?(What’s in a Word?)
第5章では、本書で用いられている「クラウド資本」「クラウド領主」「テクノ封建制」などの独自の用語の定義を整理し、新しい言葉で社会の変化を認識することの必要性を説いている。
第6章 テクノ封建制のグローバルなインパクト: 新たな冷戦(Technofeudalism’s Global Impact: the New Cold War)
第6章では、アメリカ合衆国と中国という、独自の強力なプラットフォームを有する二つの国家間の対立を、プラットフォームの支配権をめぐる闘争、新たな冷戦として捉え、グローバル経済は二つの巨大クラウド帝国による分割・対立構造にシフトしたと論じている。
第7章 テクノ封建制からの脱却(Escape from Technofeudalism)
第7章はテクノ封建制を克服するための処方箋の理念的な提示と、その実現のための団結の呼びかけである。
著者によると、脱却の鍵はクラウド資本の集団的な所有の実現である。
この章はカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの『共産党宣言』(1848年)を模した下記のスローガンで締めくくられている。
「万国のクラウド農奴よ、クラウド・プロレタリアートよ、クラウド封臣よ、団結せよ! デジタルな鎖以外に失うものはなにもない!」
英語原文: ”Cloud serfs of the world, cloud proles, cloud vassals — unite! You have nothing to lose but your digital chains!”
附記1: テクノ封建制の政治経済学(Appendix 1: The Political Economy of Technofeudalism)
ここでは古典派経済学に基づいてテクノ封建制の仮説とその主要な概念を経済理論として整理し、用語の定義を行っている。
附記2: デリバティブの狂気(Appendix 2: The Madness of Derivatives)
ここでは2008年の金融危機の遠因となったデリバティブ(金融派生商品)市場の異常性と、量的緩和(QE: quantitative easing)で投機資金がクラウド資本の形成にどう寄与したかを説明している。
受容
本書は25か国以上で翻訳刊行され、一般読者層に広く受け入れられている。
知識人層では、特に左派・進歩派の間で注目を集めた。『ガーディアン』『フィナンシャル・タイムズ』『ザ・ニューヨーカー』などにレビューが掲載され、ノーム・チョムスキーやスラヴォイ・ジジェクなどの左派論客が本書に言及している。
総評
論争を呼ぶ挑発的な本である。
GAFAMに代表される少数の巨大テック企業によるデジタルベースのプラットフォームの独占と富の集中、データの搾取とアルゴリズムによる支配、それらが引き起こす経済的な不平等と民主主義や個人の自由への脅威といった問題意識を共有する読者にとっては興味深く読める本である。
ただし本書におけるバルファキスの主張は、リバタリアン・マルクス主義の立場からの政治的なアジテーションに寄りすぎており、学術的な厳密性を欠いている。
巨大テック企業のプラットフォームベースの資本が経済システムにおける支配的な一形態となっている状況は、カナダ出身の哲学者、ニック・スルニチェクがそれを「プラットフォーム資本主義(platform capitalism)」と呼んだように、封建制ではなく資本主義の新しい段階として捉えるべきである。この点は多くの人々によって指摘されている。
プラットフォーム経済は経済全体の一部であり、伝統的な資本主義の利潤追求と競争は依然として支配的である。
少数の巨大テック企業がプラットフォームを独占しているのは事実だが、われわれはあるプラットフォームから別のプラットフォームへと移動することができる。それは封建制において農奴が「経済外的強制」によって領地に縛りつけられている状態とは異なる。
本書はプラットフォーム資本の支配構造を「封建制」という比喩を用いて追究した、社会批評の書として読むべきであろう。本書の魅力は理論の説得力や政策の提案ではなく、問題提起の部分にある。資本主義とインターネットの関係という大枠の観点から見ても参考図書として有用な、啓発的な本である。
