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回路(2001年)

概説

『回路』(英題: Pulse)は、黒沢清監督・脚本による2001年の日本のテクノホラー映画である。上映時間は118分。

観葉植物販売会社に勤める女性・工藤ミチと、インターネットを始めたばかりの大学生・川島亮介という二人の視点を軸に、「幽霊に会いたいですか」という謎のサイトを発端として人々が次々と姿を消していく世界の崩壊を描いている。

製作:大映、日本テレビ放送網、博報堂、IMAGICA。

製作総指揮:徳間康快。

プロデューサー:清水俊、奥田誠治、井上健、下田淳行。

配給:東宝。

撮影:林淳一郎。

音楽:羽毛田丈史(作曲)、和田亨(音楽プロデューサー)。

主題歌:Cocco「羽根〜lay down my arms〜」。

主要キャスト:加藤晴彦(川島亮介)、麻生久美子(工藤ミチ)、小雪(唐沢春江)、有坂来瞳(佐々木順子)、松尾政寿(矢部俊夫)、武田真治(吉崎)、風吹ジュン(ミチの母親)、菅田俊(社長)、哀川翔(工事現場の作業員)、役所広司(船長)。

言語:日本語。

予告編

プロットの概要

観葉植物販売会社「サニープラント販売」に勤める工藤ミチは、無断欠勤を続ける同僚の田口を訪ねたアパートで、首を吊って自殺した田口を発見する。田口が残したフロッピーディスクには、暗い室内を写した謎の映像が記録されていた。

会社の同僚である矢部や順子も、赤いテープで封印された「あかずの間」に入った後に恐怖にとりつかれ、壁に黒い染みを残して消えていく。

大学生の川島亮介が自宅でインターネット接続を試みると、パソコンが「幽霊に会いたいですか」と問いかけるサイトに勝手に繋がってしまう。不審に思った川島は、大学の理工学部の唐沢春江に相談する。春江の先輩の吉崎は、霊界が受容できる魂の量には限界があり、その臨界点を超えた幽霊たちがこちら側の世界へ侵出しようとしているという仮説を語る。

ミチと川島、春江の周辺で人々が消えていく現象が広がり、やがて東京全体、そして世界そのものが人影の絶えた廃墟と化していく。

解説

制作の経緯

黒沢清は前作『CURE』(1997年)で国内外の評価を確立した後、本作でホラーというジャンルに立ち返った。企画段階から「幽霊」という題材をインターネットという当時急速に普及しつつあった新しいメディアと結びつける構想があったとされる。

撮影を担当したのは中田秀夫監督の『リング』(1998年)の撮影監督も務めた林淳一郎であり、Jホラー特有の陰影の濃い画作りが本作にも引き継がれている。

「霊界とインターネット」という題材

本作が公開された2001年は、日本の家庭にインターネットが本格的に普及し始めた時期にあたる。ダイヤルアップ接続、フロッピーディスク、黎明期のウェブサイト、ブラウン管モニター、ネット対応型携帯電話といった当時のネット環境が劇中に色濃く反映されている。

「霊界とインターネット」という題材には、1990年代の初期インターネット文化とスピリチュアルな神秘主義との親和性という時代背景がある。アメリカの文化批評家エリック・デイヴィスが指摘するように[1]、当時の欧米のサイバーカルチャーには、ヒッピー的なレイヴ文化やニューエイジ思想を土壌とした、ネットワークを介した神秘主義的な想像力が広く浸透しており、「サイバースペース」という概念がしばしば身体を離れた意識や超越的な領域と結びつけられていた。

1990年代末から2000年代初頭にかけての日本のポップカルチャーにおいても、インターネットという新しいメディアを死後の世界や霊的な領域と接続する想像力が一定の広がりを見せていた。

以上のような文脈において本作は、死者からのメールを発端に現実世界とネットワーク空間の境界が曖昧になっていく過程を描いたTVアニメ『serial experiments lain』(1998年)と比較されることがある。

ロケーション

物語の舞台は東京とその近郊であり、田口の住む団地、ミチの勤める観葉植物販売会社、大学のキャンパス、廃工場、工事現場など、日常的な生活空間が徐々に無人の廃墟へと変質していく過程が描かれる。

撮影技法・特殊効果

本作は全体的に「銀残し」の手法によって、コントラストが強く彩度の抑えられた画面になっている。

投身自殺や飛行機の墜落などの場面ではコンピュータ制御によるモーション・コントロール・カメラが用いられた。特殊視覚効果は浅野秀二、特殊造型は松井裕一が担当している。

幽霊や異変の描写においては、CGやジャンプスケア(大きな音や急な映像の変化で観客を瞬間的に驚かせる演出)に頼らずに雰囲気や違和感を重視し、俳優の不自然な身体の動きやウェブカメラ越しの粒子の粗い映像、日常空間に実体として現れる黒い人影、消失した人間の痕跡が黒い染みとして壁に残る描写、無人と化した都市の異様な光景などによって観客の恐怖を喚起し、不安を持続させる手法がとられている。

特に、矢部があかずの間で幽霊と遭遇する場面は、ジャンプスケアや大きな音響効果を用いずに恐怖を生み出している点で高く評価されており、アメリカの映画批評サイト『The A.V. Club』のスコット・トバイアスは、この場面を「間違いなくJホラー全体を代表する場面」と評している[2]。この場面で幽霊を演じたコンテンポラリー・ダンサーの北村明子は、関節の不自然な動きによって人間離れした挙動を体現しており、この演技が場面の不穏さを大きく高めている。

川島が廃工場のあかずの間で幽霊と対峙する場面では、黒い輪郭に顔だけが白く浮かぶ幽霊が川島にゆっくりと接近する。幽霊が接近するにつれて、当初ぼやけていた顔にピントが合っていき、最終的には見開いた両眼に焦点が移動するクロースアップが用いられている。

Jホラーにおける幽霊の実体化

『リング』(1998年)、『呪怨』シリーズ(2000年〜)などの1990年代後半以降のいわゆる「Jホラー」は、それ以前の怪談映画とは異なり、幽霊を映像上で明確に「実体」として提示する傾向を強めた。長い黒髪、白い肌、不自然な関節の動きといった視覚的記号が、この時期のジャンルの様式として定着していく。

本作の幽霊描写も、この系譜の延長線上に位置づけられる。川島が廃工場のあかずの間で幽霊と対峙する場面では、川島は幽霊に手で触れてそれが実体であることに驚愕し、幽霊は川島に「私は幻ではない」と言う。

ただし黒沢は、幽霊そのものの造形よりも、幽霊が現れるまで静止と沈黙が続く時間や、何も起こらない空間の空虚さによって、じわじわとした恐怖と不安の持続を生み出す演出を重視しており、この点でジャンルの定型からやや距離を置いた作家性を示している。

実存的不安としての孤独

本作の時代背景として、ネットワークによる「接続」が実際には人々を孤立させるのではないか、という社会的な不安も存在した。ネットワークによって人々が相互に繋がる環境が、逆説的に孤立への不安を前景化させる。インターネットや携帯電話を介していくら他者と繋がっても、個人であることの孤独からは逃れられない。この実存的な不安は本作全体を貫く核心的なモチーフとなっている。

死の恐怖と孤独の恐怖

本作を貫く恐怖には、二つの異なる位相が存在する。一つは、自殺や失踪、幽霊との遭遇といった場面が喚起する、直接的な「死」への恐怖であり、もう一つは、唐沢春江が語る「死んでもずっと一人だったらどうする?」という問いに集約される、「孤独」への恐怖である。

劇中で示唆される幽霊たちの目的は、人間を殺すことではなく、人間を永遠に生かし続け、孤独の中に閉じ込めることだとされる。この設定により、物語の恐怖の重心は、生命の喪失という古典的なホラーの主題から、どんなに他者と繋がったとしても決して逃れることのできない孤独という、より現代的で実存的な主題へと徐々にずれていく。

この主題のずれは、終盤で川島が廃工場のあかずの間で対峙する幽霊の台詞にも現れている。幽霊は「長い……死は永遠の孤独……だった……」と語るが、この台詞は、死という一回的な出来事と、死後も終わることのない孤独という持続的な状態との断絶を暗示している。

春江の死の解釈について

本作において、春江がいつ死んだのかは意図的に曖昧にされており、解釈が分かれている。

まず、春江が川島とともに無人の電車に乗って異変からの逃亡を試みた後に自宅に戻り、「私、一人じゃない」と言いながら誰かを抱きしめるように笑顔で虚空をつかむ様子がウェブカメラに撮影されている謎の場面があり(春江が孤独の恐怖から解放された理由は明示されない)、春江はその後行方不明となる。

その後、川島はミチとともに訪れた廃工場で春江を発見するが、春江は拳銃を下顎に押し当てて発砲し、倒れる。

春江が廃工場で拳銃自殺をしたようにも見えるが、この場面はリアリティを欠いている。拳銃の入手経路は不明であり、発砲には出血が伴っていない。

春江が自宅で笑顔で虚空をつかむ場面で春江はすでに死んでおり、その後の廃工場の場面では幽霊化した春江が自らの死を反復・再演している、と解釈することも可能である。

ホラーからSFへ — ジャンルの変容

本作の注目すべき特色として、幽霊譚としてのホラーから黙示録的なSFへというジャンルの変容が挙げられる。

本作は前半において、モニターに映る不気味な映像に怯える、人々が謎の死や失踪を遂げるといった、Jホラーの定型的な語り口で進行する。しかし後半に入ると、物語の焦点は個々の登場人物が遭遇する怪異から、無人と化した東京、墜落する飛行機、燃える街並みといった、人類そのものの滅亡を示唆する終末論的な光景へと移行していく。

本作では、霊界からの幽霊の侵出という説明と、人間が黒い染みとなって消えていく現象との間には、明確な因果関係が示されない。この点はプロットの整合性を欠いた構造的な欠陥として批判されることがあるが、因果的説明そのものを拒否する黒沢の演出上の戦略として、あるいは「理解不能な破局」の表現として捉えることもできる。

公開

2001年2月10日、日本で公開。同年、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品された。

受賞

2001年(第54回)カンヌ国際映画祭 — 国際映画批評家連盟賞(FIPRESCI賞)

リメイク

2006年、アメリカ合衆国で英語版リメイク『Pulse』が公開された。監督はジム・ソンゼロ、脚本はウェス・クレイヴンとレイ・ライト。主演はクリステン・ベル、イアン・サマーホルダー、クリスティーナ・ミリアン。ディメンション・フィルムズ配給。

その後、同リメイクの続編として『Pulse 2』、『Pulse 3』が制作された。

小説版

黒沢清自身による書き下ろし長編小説『回路』が、映画の公開前の2001年1月31日に徳間書店より単行本として刊行され、2003年に文庫版が刊行された。

この小説は基本的なモチーフを映画と共有しているが、設定や展開が映画とは異なっている。映画の脚本を基にしたノベライズではなく、幽霊による侵略を描いたオリジナルのSF小説である。

オペラ版

2009年、フランスの前衛音楽グループ、アール・ゾイド(Art Zoyd)が、黒沢清の小説版『回路』を原作とする歌唱オペラ『Kairo』(”Le Réseau” とも呼ばれる)を制作し、フランス・アンギャン=レ=バンで初演した。音楽・芸術監督はグループの創設者ジェラール・ウールベット。

映画版で幽霊役を演じたコンテンポラリーダンサーの北村明子が、このオペラでも幽霊役として振付・出演している。このオペラ版は映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』でも取り上げられた。

ホームメディア

日本国内では、2001年8月24日にパイオニアLDCからDVDが発売された。

英語圏では、北米で2006年2月21日にマグノリア・ホーム・エンターテインメント(Magnolia Home Entertainment)からDVDが発売された。その後、2017年には北米・イギリスでアロー・ビデオ(Arrow Video)からブルーレイ/DVDのデュアルフォーマット版が発売された。

評価

公開当時、本作は『CURE』に続いて黒沢清の国際的な評価を高めた作品として位置づけられた。

欧米の批評家からは、インターネットという当時の新しいメディアを媒介に、テクノロジーの浸透がかえって人間を孤立させていくという逆説を描いた作品として、Jホラーの系譜の中でも思想的な深みを持つ一本として評価されている。

その一方で、因果的説明を欠いた展開と、作品全体が雰囲気に依存している点が、賛否の分かれる要因として指摘されることもある。

検索リンク

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あらすじ(ネタバレあり)

冒頭は、ミチを含む生存者たちを乗せて海上を航行する大型船の場面である。

(ミチのナレーション)「ある日それは、何気なく、こんな風に始まったのです。」

観葉植物販売会社「サニープラント販売」で、即売会の準備が進む中、社員の田口が無断欠勤を続けている。工藤ミチは田口の住む団地を訪れ、鍵を見つけて中に入る。ミチは田口が首を吊って自殺しているのを発見する。田口が残したフロッピーディスクには田口の部屋を写した写真データが入っていた。

数日後、ミチの同僚の矢部は、写真に写っている田口の部屋のモニターに同じ画像が入れ子状に映り込み、隣のモニターに不気味な顔が浮かんでいることに気づく。

ミチが自宅でテレビを点けながら家事をしていると、ニュース番組を放送していたテレビの映像が突然乱れ、音声がピッチダウンし、キャスターの顔の上半分が消失する。

大学生の川島亮介が自宅のパソコンでインターネット接続を試みると、パソコンが「幽霊に会いたいですか」と問いかける謎のサイトに勝手に繋がり、壁に「助けて」という鏡文字が無数に書かれている暗い室内に人影が映る不気味な動画がモニターに映し出される。

不審に思った川島は、大学でインターネットに詳しそうな理工学部の学生に謎のサイトについて聞く。理工学部の唐沢春江は川島に、今度そのサイトに繋がったらアドレスの記録(お気に入りに登録)か画面の保存(プリントスクリーンキーの押下)をするように助言する。

ミチの自宅に母親が来ている。母親はミチに、離婚した父親と連絡をとるように言う。

矢部の携帯電話に「助けて」という着信が入り、液晶画面に田口の部屋の中で立つ女の後ろ姿の画像が映る。

矢部は田口の部屋を訪れ、「あかずの間の作り方」と書かれた紙を見つける。

その団地には赤いテープで封印された部屋がある。赤いテープを剥がして室内に入った矢部は、奇妙な動きで近づいてくる女の幽霊を目撃して絶叫し、その後しばらくの間会社に出社しなくなる。

ミチは自宅付近で扉に赤いテープを貼る女を目撃する。

川島の自宅のパソコンが再び謎のサイトに繋がる。川島はプリントスクリーンキーを押し、画面に表示される不気味な動画を見てあわててパソコンの接続コードを引き抜く。

川島は大学で春江に謎のサイトについて報告する。春江は大学院生の先輩・吉崎の研究の手伝いをしている。パソコンのモニターの黒い画面上で多数の白く光る点が動いている。春江によると、それは人間の生存環境について調べるためのシミュレーションであり、二つの点が接近しすぎると点は死に、離れすぎると近づこうとするようにプログラムされているという。

春江は川島の部屋を訪れ、謎のサイトのデータを取る。春江は川島に、「人間は本当は繋がってない」「一人一人ばらばらに生きてる」と言う。

ミチは様子がおかしい矢部のことを心配するが、社長はミチに、他人への不干渉も一つの勇気のいる選択だ、と話す。

矢部はミチに、赤いテープで封印された部屋には絶対に入るなと忠告する。

ミチは自宅付近で女の飛び降り自殺を目撃する。

川島は大学の図書館で春江に出会う。春江は幽霊に関する文献を調べている。

春江は川島に、白い点のシミュレーションに幽霊のような点が交じるようになった異変を示し、謎のサイトと関係があると思うと言う。

川島は大学の図書館に出現した黒い人影を追いかけるが、追いつけない。吉崎は川島に、霊界が受容できる魂の量には限界があり、その臨界点を超えた幽霊たちがこちらの世界へ侵出しようとしているという仮説を語り、「回路は開かれた」と告げる。吉崎は、たまたま作られたあかずの間が装置となり、この異変が始まったことを示唆する。

(ここで、工事現場で作業員が扉を赤いテープで封印する場面が挿入される。)

ミチの会社の社長が行方不明になる。

ミチの同僚の順子は赤いテープで封印された部屋に入り、女の幽霊を見て正気を失う。ミチは順子を部屋から連れ出し、自宅に連れ帰って看病する。

ミチは自宅付近のコンビニエンスストアに買い物に行くが、店内には誰もいない。

川島は春江に電話するが電話が繋がらない。春江を心配した川島は春江の家を訪れるが、どしゃ降りの中でずぶ濡れになった春江は、パニック状態で「みんなどっかいっちゃった」「どこかに逃げなきゃ」と呟く。

春江は自宅で川島と話す。春江は川島に「死んでもずっと一人だったらどうする?」と言い、孤独の恐怖に怯える。春江は、幽霊は人を孤独の中に閉じ込めて永遠に生かそうとする、と言う。

ミチが帰宅すると、順子は壁の黒い染みになり、黒い破片となって風に飛ばされて消える。

ミチは母親に電話するが応答がない。ミチは母親のもとへ向かう。

夜、川島は無人と化したゲームセンターの店内で女の黒い人影を見て逃げ出す。

川島は春江の自宅を訪れる。恐怖に怯える春江は川島に「どっか連れてって」と頼む。

川島は春江とともに無人の駅で電車に乗る。

電車が停止し、春江は川島を残して一人で自宅へ戻る。

春江の自宅でパソコンが謎のサイトに繋がり、モニターに黒いビニール袋を頭に被った男が拳銃で自殺する場面が映し出され、プリンターが「あかずの間の作り方」と書かれた紙を印刷する。

春江が「私、一人じゃない」と言いながら、誰かを抱きしめるように笑顔で虚空をつかむ様子がウェブカメラに撮影されている。

街頭のテレビが無数の死者たちの情報を報道している。アナウンサーが死者たちの住所、氏名、年齢を延々と読み上げ、画面には死者たちの生前の写真が映っている。

川島は路上で車に乗っているミチに出会う。ミチは両親の生存が確認できずに行き場を失っていた。川島はミチに行方不明になった友人(春江)について話す。

ミチは川島に春江を探しに行こうと提案する。

川島とミチは春江の自宅付近の廃工場で春江を発見する。春江は頭に被った黒いビニール袋を脱ぎ捨て、拳銃の銃口を下顎に押し当てて発砲し、倒れる。

川島は廃工場内であかずの間に迷い込み、男の幽霊と対峙する。黒い輪郭に顔だけが白く浮かぶ幽霊が川島にゆっくりと接近しながら、「長い……死は永遠の孤独……だった……」「助けて……」「長い……永遠の……孤独……」と呟く。

幽霊が幻であると考えた川島は、幽霊をつかまえて消そうとするが、幽霊に手で触れてそれが実体であることに驚愕する。幽霊は川島に「私は幻ではない」と言う。

ミチは川島を乗せて無人の街を車で走る。街では自動車事故や火災が発生している。

車は海岸にたどり着く。川島が消えてゆく運命であることを察したミチはすすり泣く。ミチは川島の「行けるとこまで行く」という意志を確認し、川島をモーターボートに乗せて海へ出る。飛行機が海岸の街に墜落する。

(ミチのナレーション)「死はいつか必ず訪れます。どうせそうなら、いっそみんなのところに戻った方が幸せだったのかもしれません。でも、私たちは進みました。先へ、先へと。」

ミチは生存者を探しながら海上を航行している大型船に乗っている。船長はミチに、南米方面から生存者らしき信号が届くのでその方向に向かってみると言う。

川島は船内で壁に黒い染みを残して消える。

(ミチのナレーション)「今、最後の友達と一緒にいます。私は幸せでした。」

脚注

  1. Erik Davis, TechGnosis: Myth, Magic, and Mysticism in the Age of Information, Harmony Books, 1998. ↩︎
  2. Scott Tobias, The New Cult Canon: Pulse, The A.V. Club, 2008. ↩︎
The New Cult Canon: Pulse
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