概説
『われら』(Мы)は、ロシアの作家エヴゲーニイ・ザミャーチンが1920–1921年に執筆した長篇小説である。数学的な理性と徹底した管理によって人間の生活の全域を統制する「単一国」(Единое Государство)を舞台に、その国の宇宙船建造技師D-503が綴る手記という形式をとる。ディストピア小説、あるいは反ユートピア小説の古典として広く知られる。

本作は、初期ソヴィエトのボリシェヴィズムが志向した集団的・計画的な社会像と、西欧の科学技術による人間の管理・合理化とが極限まで融合した未来社会を描いた、文明批判的な作品として読まれてきた。風刺の対象を特定の一国の政治体制に限定していない点も、この性格を裏づけている(詳細は「テイラー・システムの参照」「評価」の節を参照)。文体は、断片的な短文、数学・幾何学の語彙による心理描写、色彩や形象の過剰な反復などを特徴とし、表現主義的な幻想文学としての性格も強い。
ただし、本作の執筆時期(1920–1921年)はスターリン体制下の全体主義的統治が確立するより前である。本作を「全体主義の予言」とみなす読解は、のちの歴史的経緯を踏まえた遡及的な評価である点に留意する必要がある。それでも、合理性を極限まで推し進めた管理社会が人間の内面をどのように変質させるかを、数学の語彙と手記形式を通じて先鋭に描き出した点で、20世紀文学の重要な到達点の一つとなっている。
著者略歴
エヴゲーニイ・イヴァノヴィチ・ザミャーチン(Евгений Иванович Замятин, 1884–1937)は、ロシア帝国タンボフ県のレベジャン(Лебедянь)に生まれた。ペテルブルク工科大学で造船学を学び、学生時代にはボリシェヴィキに加わって1905年の革命運動に関与し、逮捕・流刑も経験している。のち造船技師となり、1916年から1917年にかけては砕氷船の建造監督のためイギリスに滞在した。この滞在中の体験は、風刺小説『島の人々』(Островитяне)の素材となっている。
1917年の革命後に帰国してからは、造船学の教育に携わる一方で文学活動にも力を注いだ。若手作家のグループ「セラピオン兄弟」に創作上の助言を与えた存在としても知られる。1920年代には、エッセイ「文学、革命、エントロピーなどについて」(1923年)などで、教条的な芸術統制への批判と、異端・変革を肯定する文学観を示した。
『われら』のソヴィエト国内での出版が許されなかったこともあり、作者への批判は1920年代末に激化した。ザミャーチンは1931年、スターリンに宛てた書簡で国外退去を願い出て許可を得、パリに移住した。1937年3月10日、パリで死去した。
出版の経緯・背景
『われら』は1920–1921年に執筆された。ソヴィエト国内では検閲により刊行が認められず、作品が最初に活字となったのは、ロシア国外での英語訳(グレゴリー・ジルボーグ訳、E. P. ダットン社、ニューヨーク、1924年)においてである。その後、チェコ語訳(1927年)、フランス語訳(1929年)をはじめとする各国語訳が相次いだ。ロシア語では、1927年にプラハの亡命ロシア人雑誌『ヴォーリャ・ロッシイ』に、作者の同意なく断片が掲載された。これはチェコ語版からの重訳で不完全なものであり、ザミャーチンは掲載中止を求めている。ロシア語の完全版は1952年にニューヨークのチェーホフ出版社から刊行された。ソヴィエト国内での公刊は、1988年の雑誌『ズナーミャ』(Знамя)第4・5号への掲載が初である(詳細は「書誌情報」の節を参照)。
作品の背景には、内戦期の「戦時共産主義」下における労働と生活の統制、技術・工学を基盤とした社会設計への期待、そしてザミャーチン自身の造船技師としての経験があるとされる。作者は技術者でありながら、合理化と画一化が人間の内面を圧殺する可能性を、数学と工学の語彙を用いて描き出した。
テイラー・システムの参照
作中の単一国は、「時間タブレット」(Часовая Скрижаль)によって市民の起床から就寝までの時間を分刻みで規定し、労働・食事・散歩・性生活までを数量的に管理する。この設定は、アメリカの技師フレデリック・W・テイラーが提唱した工場生産の科学的管理法、いわゆるテイラー・システムを明示的に参照している。作中ではテイラーが古代の偉大な先駆者として称えられ、語り手D-503の記述にもその名が現れる。
この参照は、同時代のロシアの状況とも無関係ではない。レーニンは1918年の論文「ソヴィエト権力の当面の任務」において、テイラー・システムを、資本主義的搾取の洗練された残酷さと科学的成果とを併せ持つものと位置づけたうえで、ロシア革命後の労働の組織化と生産性向上のために、その合理的な部分を研究し導入すべきであると論じた。革命後のソヴィエトでは、労働の科学的組織化を掲げる運動が展開され、中央労働研究所(アレクセイ・ガスチェフ主導)のような機関も設立された。
ザミャーチンは、資本主義の産物であるテイラー・システムを革命後の社会主義的な労働管理に接続しようとするこの動きに、人間の画一化という共通の危険を見いだしていたと解釈できる。ここに『われら』の風刺が、ボリシェヴィズムと西欧の科学技術文明の双方を射程に収める構造の一端がある。
書誌情報(ロシア語原著)
- 原題:Мы
- 成立:1920–1921年
- 初出(出版形態):英語訳(グレゴリー・ジルボーグ訳、E. P. ダットン社、ニューヨーク、1924年)
- ロシア語完全版の初刊行:チェーホフ出版社(ニューヨーク、1952年)
- ソヴィエト国内での公刊:1988年、雑誌『ズナーミャ』(Знамя)第4・5号
- 構成:40の「記録」(запись)からなる手記形式
翻訳の状況
英語訳は上述のジルボーグ訳(1924年)のほか、ミラ・ギンズバーグ訳(1972年)、クラレンス・ブラウン訳(1993年)、ナターシャ・ランダル訳(2006年)などがある。
ヨーロッパ諸語では、チェコ語訳(1927年)、フランス語訳(1929年)が早い時期に刊行された。ジョージ・オーウェルはこのフランス語訳を参照し、1946年の書評で取り上げた。
日本語訳は、川端香男里訳(1970年)、小笠原豊樹訳(1977年)、松下隆志訳(2019年)がある。
評価
ソヴィエト国内では、『われら』は反革命的な風刺として批判の対象となり、1920年代末にはザミャーチンに対する攻撃が強まった。作者は1931年にスターリンへ書簡を送り、国外での創作活動を許可するよう求めている。
国外では、1946年にオーウェルが書評(『トリビューン』紙)で本作を取り上げ、後年のディストピア文学の系譜に位置づける契機を作った。以後、『われら』はディストピア小説の先駆として評価されている。一方で、作品の風刺の対象については、ボリシェヴィズムへの批判とみる読解、西欧的な技術合理主義への批判とみる読解、さらには両者を貫く人間の画一化への批判とみる読解が併存している。
文学的には、数学的な語彙(虚数、無理数、座標など)を人間の内面描写に転用した点、手記形式によって語り手の自我の変容そのものを作品構造に反映させた点が評価される。語り手が情動や想像力に目覚めていく過程と、最後にそれが外科的に除去される結末とが、作品の主題を形式面から支えている。
影響
最もよく知られている影響は、ジョージ・オーウェル『一九八四年』(1949年)との関係である。オーウェルは1946年の書評で、オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(1932年)が『われら』に部分的に由来しているに違いないと述べた。ただしハクスリー自身は『われら』を読んでいなかったと否定している。『一九八四年』については、『われら』との構想上の類似(ガラスの住居による監視、個人の内面の管理、反乱と挫折など)がしばしば論じられている。
また、カート・ヴォネガット『プレイヤー・ピアノ』(1952年)、アーシュラ・K・ル=グウィンの諸作など、管理社会を主題とするSF・ディストピア文学にも、その系譜が指摘される。
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あらすじ(ネタバレあり)
舞台は、二百年戦争を経て成立し、「恩人」(Благодетель)を元首とする単一国である。市民は名前の代わりに数字で呼ばれ、ガラス張りの住居で暮らし、時間タブレットに従って行動する。性生活も、登録した相手とのピンク色のクーポン(切符)を介して管理される。都市は緑の壁によって外部の自然から隔てられている。
宇宙船「インテグラル」の建造技師D-503は、この国の完全性を他の天体に伝えるために手記をつけ始める。当初の彼は体制に忠実な模範的市民であり、登録相手の女性O-90、詩人R-13らとの調和的な関係に満足している。しかし、反体制的な女性I-330との出会いによって、D-503は抑えがたい情動に襲われ、「魂」とでも呼ぶべき内面の存在を意識し始める。
I-330は、壁の外の世界と通じる秘密結社「メフィ」の一員であり、インテグラルの奪取を計画している。D-503は彼女に惹かれてその計画に巻き込まれ、体制と反体制の間で引き裂かれる。一方、O-90は、規定の基準に達しないため許されない妊娠を望み、D-503の子を宿す。I-330の手引きにより、O-90は壁の外へと脱出する。
やがて、毎年恒例の「全員一致の日」の選挙で、恩人への反対票が初めて現れる。体制は反乱に対する最終手段として、想像力を司る脳の部位を外科的に除去する「大手術」を全市民に義務づけると布告する。D-503も手術を受けさせられ、内面の混乱から解放される。
手術後のD-503は、I-330が逮捕され「ガスの鐘」の下で拷問を受けても動揺せず、彼女の名前を尋ねられても無関心に彼女を告発する。壁の外では反乱が拡大し、壁の一部が破壊されるが、D-503はなおも「理性は必ず勝つ」と確信する。手記はこの一節で閉じられる。
