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ざくろの色(1969年)

概説

『ざくろの色』(アルメニア語原題:Նռան գույնը、ロシア語題:Цвет граната、当初の題名:『サヤト・ノヴァ』)は、セルゲイ・パラジャーノフ監督・脚本による1969年のソビエト・アルメニアの前衛映画である。

18世紀アルメニアの詩人・吟遊詩人(アシュグ)サヤト・ノヴァ(本名ハルティウン・サヤティアン、1712年頃-1795年)の生涯を、伝統的な伝記映画の文法をほぼ完全に排し、静止画的なタブロー(タブロー・ヴィヴァン)の連鎖として描き出す。台詞はほとんどなく、物語は詩の朗誦、聖歌、民謡、そして高度に様式化された身振りと象徴的な小道具によって進行する。

製作:アルメンフィルム(アルメニア・ソビエト社会主義共和国、エレバン)。

監督・脚本:セルゲイ・パラジャーノフ。

撮影:スレン・シャフバジャン。

編集:セルゲイ・パラジャーノフ、マルファ(マリア)・ポノマレンコ。ソ連国内配給版はセルゲイ・ユトケーヴィチが再編集を担当した。

美術:ステパン・アンドラニキャン。装飾:ミカエル(ミハイル)・アラケリャン。衣裳:エレナ・アフヴレディアニ、イオシフ・カラロフ、ジャスミン・サラビャンほか。衣裳の一部はパラジャーノフ自身が手がけている。

音楽:ティグラン・マンスリャン(既存のアルメニア聖歌・民謡・アシュグ音楽の使用を含む)。

主要キャスト:ソフィコ・チアウレリ(青年期の詩人、詩人の恋人=アンナ王女、詩人の詩神(ミューズ)、パントマイム、復活の天使など、5~6の役柄を男女の別なく演じる)、メルコン・アレクサニャン(少年期の詩人)、ヴィレン・ガルスチャン(修道院の詩人)、ギオルギ・ゲゲチコリ(老年期の詩人)、スパルタク・バガシヴィリ(詩人の父)、メデア・ジャパリゼ(詩人の母)、ホヴハネス・ミナシャン/オニク・ミナシャン(公)。

言語:アルメニア語(一部グルジア語)。

フォーマット:35mmカラー、アスペクト比1.37:1(アカデミー比)。

上映時間:アルメニア公開版が約77~79分、ユトケーヴィチによるソ連国内配給版が約72~73分、2014年の修復版が約78分(各版で異同がある)。

本作は1965年の『火の馬』に続くパラジャーノフの長編である。パラジャーノフが独自のスタイルを確立した最初の作品であり、また映画史上もっとも急進的な作品の一つとして今日広く評価されている。

予告編

プロットの概要

『ざくろの色』は明確な因果関係で結ばれた筋書きを持たない。冒頭の字幕は本作が「詩人の伝記」ではなく「詩人の内的世界を再現する試み」であることを宣言する。作品は「幼年期」「青年期」「公の宮廷」「修道院」「夢」「老年」「死の天使」「死」といった主題別の章に分かれ(各版で章題の表現は異なる)、各章がサヤト・ノヴァの詩句からの引用によって導入される。

幼年期、少年は書物と教会建築に囲まれて育ち、浴場を覗き見て女性の裸体を初めて目にする。青年期、彼は宮廷に召し出されて楽才を認められ、王女(アンナ)と道ならぬ恋に落ちる(詩人と恋人の双方をソフィコ・チアウレリが演じる)。この恋が破局すると、詩人は修道院に入り、聖職者としての生を送る。老年に至り、詩人は還俗して放浪するが、やがて死の天使に導かれてこの世を去る。

物語上の出来事そのものよりも、婚礼の白いレースの覆いが色を変えていく反復ショット、貝殻と羽根という男女の象徴の反復使用、ザクロの果汁が布に滲んでアルメニア王国の版図の輪郭を描く場面など、視覚的モチーフの反復と変奏が作品の骨格をなしている。

解説

制作の経緯・背景

パラジャーノフは1962年にアンドレイ・タルコフスキーの『僕の村は戦場だった』を見て衝撃を受け、それまでの社会主義リアリズム的な作風を放棄したと後年繰り返し語っている。この転向の最初の成果が1965年の『火の馬』であり、同作は国際的な評価を得た一方で、ウクライナの民族主義的高揚を助長するものとして当局から警戒された。

パラジャーノフはその後ウクライナからアルメニアに拠点を移し、アルメンフィルムの企画としてサヤト・ノヴァ生誕250周年(1962年に当たる)を記念する伝記映画に取り組むことになった。撮影は1968年に行われ、パラジャーノフは自ら「生フィルムもコダック製の資材もなく、照明機材も送風機も特殊効果の手段もほとんど持たない、きわめて劣悪な条件下での製作だった」と述べている。

パラジャーノフは、サヤト・ノヴァの詩に現れるイメージ(短剣、絹、錦、粗布と灰の中をさすらう姿など)を文字通り映像化し、人物の生涯を極度に単純化したうえで、あらゆる説明的な枠組みやナレーションを排する方針を取った。彼は自作の様式を「ペルシア細密画の連鎖」あるいは「アルメニアの彩色写本(ミニアチュール)」に触発されたものと説明している。

ロケーション

撮影はすべて現地ロケーションで行われた。アルメニア国内では、北部ロリ州にあるサナヒン修道院、ハフパト修道院(10世紀創建、サヤト・ノヴァ自身が晩年を過ごした実在の修道院)、アルドヴィの聖ヨハネ教会、アフタラ修道院が用いられた。グルジア(ジョージア)国内では、アラヴェルディ修道院、ダヴィド・ガレジャ修道院群周辺の田園地帯、テラヴィ近郊のズヴェリ・シュアムタ修道院群が撮影地となった。アゼルバイジャンではバクー旧市街とナルダラン要塞が使用されている。

ハフパト修道院は、史実上のサヤト・ノヴァが実際に長く起居した建物であり、パラジャーノフの様式化された虚構と、詩人の史実上の生とが唯一直接に交差する場所である。

撮影技法・様式

本作の映像は完全に固定されたカメラによって撮られており、パン・チルト・移動撮影の類はほとんど用いられない。人物はカメラに対してほぼ正面を向き、静止した姿勢のまま緩慢で様式化された身振りを繰り返す。これは、激しい移動撮影を多用した前作『火の馬』とは対照的な選択であり、パラジャーノフが監督としての作家性を確立した画期とみなされている。

編集面でも、同一のショットやわずかに変奏されたショットが繰り返し用いられ、記憶や詩句の反復に呼応するリズムを作り出している。台詞はきわめて少なく、音響は聖歌、アシュグの歌謡、環境音によって構成される。

ソフィコ・チアウレリが男女双方の役柄を演じ分ける(あるいは演じ分けない)演出も、この様式面の一部をなす。彼女の演技は感情表出を排した無表情(デッドパン)に貫かれており、これが作品全体の両性具有的・非人称的な雰囲気を決定づけている。

音楽・音響設計

本作の音楽・音響設計は、当時20代の作曲家ティグラン・マンスリャンが単独で担当した。マンスリャンによれば、彼は1969年1月3日から3か月間、毎日朝8時から夜8時まで作業に没頭してこの仕事を仕上げている。これがマンスリャンにとって初めての長編劇映画の仕事であった。

マンスリャンの方法論は、サヤト・ノヴァのために新たな主題曲を作曲することではなく、タール、ケマンチャ、太鼓(ダフ)などのアルメニア・コーカサス地方の民族楽器が奏でる音を、文脈から切り離された「断片」「音の装飾」として抽出し、それらを画面の視覚的な構成と同じ密度で並べ直すことにあった。マンスリャン自身の言葉を借りれば、「民俗音楽という鶏から、最も美しい羽根を一枚か二枚だけ引き抜く」ような作業であり、時に楽器の音はその楽器本来の文脈からあまりに切り離されているため、もはや原型の楽器の音として認識されないほどであるという。

本作には、台詞や説明的なナレーションがほとんど存在しない代わりに、音楽・環境音・人の声(歌唱、朗誦、詩句の暗誦)の境界を意図的に解消する編集方針が取られている。マンスリャンは「沈黙」そのものにも作家的な設計を施しており、例えば宮廷の場面(パラジャーノフが「赤の宮殿」「青の宮殿」と呼んだ2つの場面)では、それぞれ異なる子音(「シュ」「ス」)を起点とする固有の「沈黙の背景音」が用意されているという。

音源の一部はパラジャーノフ自身の指示によるものであり、例えば宮廷の狩猟の場面で流れるグルジアの宗教的多声合唱は、パラジャーノフの発案をそのまま採用したものである。

なお、ソ連国内配給用にセルゲイ・ユトケーヴィチが行った再編集では、音楽と映像の対応関係も大きく変更された。マンスリャンは、自身が場面ごとに厳密な必然性をもって配置した音を、ユトケーヴィチが場当たり的に別の場面へ移動させたことに強い不満を表明している。

本作の音楽の重要性は21世紀に入っても認識され続けており、2017年から2018年にかけて、パラジャーノフ・ヴァルタノフ研究所とフィルム・ファウンデーションは、ロサンゼルスのシネファミリーおよびニューヨークのメトロポリタン美術館に対し、マンスリャンのオリジナル音楽を欠いた形での本作上映(音楽家ニコラス・ジャーによる代替サウンドトラックを用いた上映企画)に異議を申し立てている。メトロポリタン美術館はこれを受けて上映企画を中止した。

テーマ分析——クィア性と両性具有

本作でもっとも頻繁に論じられる主題の一つが、ジェンダーの流動性と両性具有の表象である。ソフィコ・チアウレリは詩人本人(青年期)、詩人の恋人アンナ王女、詩人のミューズ、修道女、復活の天使、パントマイムを含む5ないし6の役柄を、男女の区別なく演じる。とりわけ、詩人とその恋人の双方を同一の女優が演じることは、両者の恋愛が「一つの魂の分裂」であることを示唆する演出として繰り返し指摘されてきた。

さらに、幼年期の詩人が浴場を覗き見る場面で導入される貝殻(女性の象徴)と羽根(男性の象徴)という視覚的コードは、以降の場面で複数の登場人物によって男女を問わず用いられ、性別の境界そのものを撹乱する。

こうした両性具有の表象は、パラジャーノフ自身の伝記的事実と切り離して論じることはできない。パラジャーノフは本作の4年後にあたる1973年、ウクライナで「同性愛」および「強姦」「ポルノグラフィの頒布」の名目で逮捕され、5年の重労働刑を宣告された(起訴内容には「ウクライナ民族主義」も含まれていたとされる)。当時のソ連では同性愛行為は刑法上の犯罪であり、体制側のイデオロギーにおいて社会的病理として扱われていた。ウクライナの国家記憶研究所は2023年、この有罪判決から50年を経て、パラジャーノフを正式に名誉回復している。

批評家の間では、本作の両性具有的な人物造形と、パラジャーノフが生涯を通じて経験した性的少数者としての抑圧とを結びつけて読む解釈が有力である。あわせて、作品がアルメニア・グルジア・アゼルバイジャン・ロシアの複数の文化的伝統を横断的に織り交ぜている点も、ソビエト体制が強制する単一の民族的・イデオロギー的統合を撹乱する身振りとして、ジェンダーの撹乱と並行的に論じられている。

検閲

本作は完成直後から、ソビエトの映画検閲機構であるゴスキノ(国家映画委員会)との間で長期にわたる摩擦を引き起こした。ゴスキノ議長アレクセイ・ロマノフは本作を個人的に嫌悪し、当初はアルメニア国内以外での配給を認めなかった。当局は、パラジャーノフの様式化された詩的な語り口が「大衆に理解不能」であり、教育的機能(すなわち史実としてのサヤト・ノヴァ伝を正しく伝える機能)を果たしていないと難じた。

その結果、パラジャーノフは、原題『サヤト・ノヴァ』を含め、作中から詩人の名前への言及を削除するよう強制され、題名は『ざくろの色』へと変更された。アルメニアの作家フラント・マテヴォシャンが新たに書き下ろした抽象的で詩的な字幕(章題)が、削除された言及の代わりに用いられている。この経緯を経て完成した約77~79分のアルメニア公開版は、しばしば「監督完全版」と紹介されるが、これも既に検閲当局との妥協の産物であり、パラジャーノフの当初の構想からさらに20分ほど短縮されているとする研究(ジェイムズ・スティーフェン)もある。

このアルメニア版は1969年10月にアルメニア国内でのみ公開されたが、ソ連国内の他地域および国外での配給は認められなかった。旧アヴァンギャルド演劇出身の映画監督セルゲイ・ユトケーヴィチ(ゴスキノ脚本審査委員を務めていた)は本作を高く評価しており、より広い配給を実現するために自ら再編集を行うことで当局との膠着状態を打開しようとした。ユトケーヴィチは、より平易なロシア語の章題を新たに作成し、宗教的な内容を含む数分間のショットを削除し、一部のシークエンスの順序を入れ替えた。この72~73分のユトケーヴィチ版が、ソ連国内での限定的な配給版として認可され、以後長らく西側で流通する唯一のバージョンとなった。

なお、パラジャーノフの助手ミハイル・ヴァルタノフが撮影した撮影現場のドキュメンタリー『アルメニアの大地の色』(1969年)も当時発表を禁じられ、その映像の一部は1992年のヴァルタノフによるドキュメンタリー『パラジャーノフ 最後の春』の中に再び姿を現すまで、長らく封印されていた。

公開

アルメニア国内公開は1969年10月。ユトケーヴィチによる再編集版はその後、ソ連国内の限定的な配給に用いられたほか、国外へもこのバージョンを通じて紹介された。西側では長らく非公式の海賊版や字幕なしのプリントを通じてしか鑑賞できず、ニューヨーク映画祭では1980年、英語字幕のないまま上映されている。

復元

長らく本作は、検閲当局の意向を反映したユトケーヴィチ版でしか鑑賞できなかったが、アルメニア公開版(77分版)のプリントが再発見されたことを機に、原型により近い版への復元作業が進められた。復元は、マーティン・スコセッシが設立したワールド・シネマ・プロジェクト(フィルム・ファウンデーション)の主導のもと、ボローニャのチネテカ・ディ・ボローニャおよびその附属研究所ライマジネ・リトロヴァータが、アルメニア国立映画センターおよびロシアのゴスフィルモフォンドとの協力によって実施した。

この復元は、2014年の釜山国際映画祭で開催されたパラジャーノフ&ヴァルタノフ回顧上映の機会に、パラジャーノフ・ヴァルタノフ研究所とフィルム・ファウンデーションの関係者が出会ったことを契機に始まったとされる。4Kデジタル修復版は2014年、第67回カンヌ国際映画祭のカンヌ・クラシックス部門で世界発行された。アメリカでの初上映は同年9月20日、ロサンゼルス郡立美術館(LACMA)内シアター「ジ・アカデミー」で行われ、東海岸初上映は同年10月2日の第52回ニューヨーク映画祭においてマーティン・スコセッシ自身の紹介で行われている。批評家ジェームズ・クワントはこの復元を「映画の聖杯」と評した。スコセッシはこの功績により2014年のパラジャーノフ・ヴァルタノフ研究所賞を受賞している。

評価

興行成績

本作はソビエト国内においても西側においても、一般興行を目的とした劇場公開の実績を持たない。ソ連国内ではユトケーヴィチ版が限定的に配給されたのみであり、西側では長らく映画祭やシネマテークでの上映、および非公式の海賊版・大学の教材用プリントを通じてのみ鑑賞可能な状態が続いた。したがって本作は、興行的な指標ではなく、映画祭・批評家・映画作家からの評価によってその地位を確立してきた作品である。

批評的評価

本作は今日、映画史上もっとも重要な作品の一つとして広く認められている。レビュー集積サイトRotten Tomatoesでは、事後的に集計された18件のレビューに基づき支持率94%、平均点7.2/10を記録している。1980年、ニューヨーク映画祭での上映に際し、ジャネット・マスリンは「ニューヨーク・タイムズ」紙で「この映画はどのような文脈で見ても捉えどころがない。しかし、これほど純粋に謎めいたものには、それ自体の魔力がある」と評した。『ざくろの色』は1982年の「カイエ・デュ・シネマ」誌の年間ベストテンにも選出されている。

英国映画協会(BFI)発行の「サイト・アンド・サウンド」誌による批評家投票では、2012年版で本作は同点84位にランクインしたが、2022年版では同点122位となり、監督投票では同点93位となっている。

批評家ギルバート・アデアは「本作は様式においても内容においても、映画というメディアの発明以前に存在していたかのような印象を与える。この作品を無視する映画史家は、いかなる者であれ真剣に受け止められるべきではない」と評している。

著名人のコメント

パラジャーノフの盟友でもあった映画作家ミハイル・ヴァルタノフは「グリフィスとエイゼンシュテインが提示した映画言語を措くならば、ブニュエルの『アンダルシアの犬』が持つ一般には受け入れられなかった映画言語を除いて、世界の映画はパラジャーノフの『ざくろの色』に至るまで、革命的に新しい何物も発見してこなかった」と述べた。

ミケランジェロ・アントニオーニは本作を「完璧な美しさに驚かされる」と評し、ジャン=リュック・ゴダールは「映画という寺院には、映像と光と現実がある。セルゲイ・パラジャーノフはその寺院の主であった」と述べている。

アンドレイ・タルコフスキーもまた本作を高く評価した一人であり、1973年のパラジャーノフ逮捕に際しては、ウクライナ共産党中央委員会宛の書簡において、パラジャーノフを「代わりの利かない芸術家」として擁護している。

影響

本作は、ジム・ジャームッシュ、デレク・ジャーマン、モフセン・マフマルバフをはじめとする多くの映画作家に直接的な影響を与えたとされる。とりわけ、ソフィコ・チアウレリを複数の両性具有的な役柄——青年期の詩人、詩人の恋人、天使、修道女、白塗りのパントマイム——に配役する手法は、後年のデレク・ジャーマンによるティルダ・スウィントンの起用(1980年代後半の諸作)を先取りするものと評されている。

映画の外部への影響としては、マドンナが1995年に発表した楽曲のミュージックビデオ「Bedtime Story」において、五芒星の上で胎児のような姿勢を取る子供の場面や、素足がぶどうを踏みつぶす場面など、本作からの視覚的引用が確認できる。

2020年公開のレディー・ガガの楽曲「911」のミュージックビデオも、本作からの影響が明示的に語られている。

音楽家ニコラス・ジャーは2015年、本作の非公式な「オルタナティブ・サウンドトラック」と称するアルバム『Pomegranates』を無許諾で発表した。2017年にロサンゼルスのシネファミリーで予定されていたジャーによるライブ演奏付き上映は、パラジャーノフ・ヴァルタノフ研究所およびフィルム・ファウンデーションの異議により、オリジナルの音響での上映に変更されている。

歴史的位置づけ

『ざくろの色』は、社会主義リアリズムが依然として公式の美学規範であった1960年代末のソ連映画界において、明快な物語進行・プロレタリアートの英雄・イデオロギー的メッセージという規範から根本的に逸脱した作品として登場した。この逸脱は、当時進行していたブレジネフ政権下での「雪解け」の巻き戻し、すなわち反体制的芸術家への締め付け強化という文脈のなかで生じている。

本作はまた、ソビエト映画のなかでも「詩的映画」と呼ばれる潮流——アレクサンドル・ドヴジェンコに始まり、パラジャーノフ自身の『火の馬』、セルゲイ・ゲラシモフやユーリー・イリエンコらの作品を含む——の到達点の一つとして位置づけられる。同時に本作は、モスクワを中心とするロシア的・ソビエト的な単一の映画的正典に回収されない、アルメニア・グルジア・アゼルバイジャンにまたがるコーカサス地域固有の視覚文化・宗教文化の記録としての価値も持つ。

ホームメディア

本作のホームメディア展開は、長らくユトケーヴィチ版を基盤としてきた。1990年代にはキノ・インターナショナル(アメリカ)などから、ユトケーヴィチ版に基づくVHSおよびDVDが発売されている。ロシアのシネマ・カウンシルからも字幕付きDVDが発売された。

2014年の4Kデジタル修復(アルメニア版に基づく)を収めたブルーレイは、2018年2月19日にイギリスでセカンド・サイト・フィルムズより発売され、ユトケーヴィチ版とアルメニア版の両方を収録している。アメリカでは2018年4月17日、クライテリオン・コレクションより、ミハイル・ヴァルタノフによる撮影現場ドキュメンタリー『アルメニアの大地の色』(1969年)や、パラジャーノフ研究者ジェームズ・スティーフェンによる解説、ダニエル・バードによるドキュメンタリー『The World Is A Window』などの特典を収めたブルーレイが発売されている。

検索リンク

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構成(ネタバレあり)

本作は因果関係で結ばれた物語ではなく、詩人の生涯を主題別に区切った一連のタブロー(活人画)の連鎖として構成されている。各章はサヤト・ノヴァの詩句からの引用を伴う字幕によって導入される。以下は、修復版・研究者による整理に基づく主要な章とその内容の概要である(章題・場面の細部は現存する各版によって異同がある)。

冒頭

「この映画は詩人の伝記ではない。むしろ、映画作家は詩人の内的世界を——その魂のおののき、情熱、苦悩を通して——再現しようと試みたものである。中世アルメニアの吟遊詩人(アシュグ)の伝統に特有の象徴と寓意を広く用いている」という字幕に続き、「私は、生涯と魂そのものが苦悶である者だ」という一節が語られる。未知の文字で記された古い書物、そして白い布の上に置かれた3個のザクロが果汁を滲ませていく様が映し出され、以降の全編を貫く視覚的語彙が提示される。

幼年期

「三つの神聖な目標がある。ペンを大切にせよ、書くことを大切にせよ、書物を大切にせよ」、そして「書物は、いのちであり魂であるがゆえに、大切にされ愛されねばならない。文字がなければ、この世は無知にのみ支配されるだろう。書物は、すべての者に聞こえるよう声に出して読まれねばならない。なぜなら、誰もが文字を読めるわけではないからだ」という字幕とともに、少年時代の詩人が、修道院の屋根の上で聖人や天使を描いた彩色写本を読みふける場面が描かれる。彼はまた、地下の公衆浴場を覗き見て、女性の裸体を初めて目にする。この場面で導入される貝殻(女性の胸を覆う)と羽根(男性器を覆う)という視覚的な符牒は、以降の章で反復的に用いられる。少年はまた、染物職人たちが染めた羊毛の束を次々と染料樽から引き上げて地面に叩きつける様子を眺める——染料の色は、アルメニアの国旗の色と一致している。

青年期

「私たちは互いの中に自分自身を探していた」という詩句とともに、青年となった詩人(ソフィコ・チアウレリ)とその恋人(同じくチアウレリが演じる)が、指輪を差し出し合う場面が反復・変奏される形で描かれる。婚礼を思わせるレースの覆いは、無垢を示す白から、情熱を示す赤、そして死と喪失を示す黒へと色を変えていく。

宮廷にて

「この健康で美しい生の中で、私だけに苦しみが与えられた。なぜそれが与えられたのか」、そして「私たちは互いの愛のための逃げ場を探していたが、その道は死者の国へと通じていた」という詩句のもと、宮廷における死の儀礼が描かれる。ヤギを生贄として捧げる儀式(マタフ)が、同一の固定カメラの構図のもと、3頭のヤギと3人の異なる証人によって反復される。続いて、修道士たちがカトリコス(アルメニア教会の高位聖職者)ラザロ神父の死を悼む場面が展開する。詩人は教会の中央の床に墓を掘る作業に加わるが、その最中に羊の群れが教会内に追い立てられ、彼の作業を混乱させる。白い衣をまとった女性(詩人の恋人)が詩人を抱きしめようとするが、詩人は刺繍を施した絨毯で自らの体を覆い、これを拒む。

修道院

「私の愛の蝋でできた城を、あなたの赤い炎の熱からどう守ればよいのか」というマテヴォシャンによる章題に続き、失恋した詩人は修道院に入り、聖職者としての生を選ぶ。老いた詩人は春の訪れとともに子羊を抱き、法衣を脱いで日光を浴び、他の修道士たちもこれに倣う場面が描かれる(この場面はユトケーヴィチ版では大きく縮小・変更されている)。

詩人の夢

物語は詩人の幼年期の記憶へと回帰し、亡き両親への哀悼が描かれる。

老年——修道院を去る

「明晰なること、朧げなること、私は万事を見た。そして私は己の生から見捨てられてしまった」という字幕に続き、詩人が教会の聖水盤に杯を差し入れるが、何も汲み上げることができないという象徴的な場面が置かれる。これは、詩人としての力の枯渇を示す場面として読まれてきた。

死の天使

死の天使が、目隠しをされた姿で羊を紐で引きながら現れる。白い衣の女性(詩人の恋人と思われる、あるいは復活の天使)が埋葬されるこの場面では、「世界は一つの窓である。私はそこに嵌められたガラスを嫌悪する。ガラスを通して見た者は、火傷を負うだろう」という歌詞が歌われる。

死

詩人の死が、女性像(恋人とも復活の天使ともつかない人物)の見守るもとで象徴的に描かれる。「詩人は死んでも、そのミューズは死なない」「私が生きようと死のうと、私の歌は群衆を呼び覚ますだろう。そして私が世を去る日、この世から何ひとつ消え去りはしない」という詩句によって作品は締めくくられる。

(史実としてのサヤト・ノヴァは、1795年、アルメニアに侵攻したペルシアのアーガー・モハンマド・ハーンの軍によって、改宗を拒否したために殺害されたと伝えられている。本作はこの史実を直接的には描写せず、あくまで様式化された「死の天使」との遭遇として提示するにとどめている。)