概説
『ヨブ記』はヘブライ語聖書(キリスト教の旧約聖書)の中でも広く読まれ、文学作品としての評価も高い一篇である。知恵文学(箴言や伝道の書と並ぶ)に分類され、無実の人間がなぜ苦しむのかという「義人の苦難」の主題を、対話形式の詩文によって徹底的に掘り下げている点に特徴がある。
作者と成立時期は未詳だが、一般には紀元前七〜四世紀頃、バビロン捕囚前後の時期に成立したとする説が有力である。ただし物語の舞台そのものは、族長時代を思わせる古い設定(ヨブの長寿、貨幣ではなく家畜による富の表現など)を保っており、後代の書き手が古い伝承・物語型を素材として用いた可能性が指摘されている。
言語と形式
『ヨブ記』は、散文で書かれた序曲(第一〜二章)と終曲(第四十二章後半)、その間に挟まれた韻文調の長い詩文(対話・独白)という、複合的な構成を持つ。原典のヘブライ語は聖書中でも屈指の難解さで知られ、他の箇所に用例のない語(ハパックス・レゴメナ)が百以上含まれるほか、アラム語やアラビア語との親近性を示す語彙も多い。こうした言語的特異性は、地の文(散文部分)が比較的平明な古典ヘブライ語で書かれているのに対し、詩文部分がより古拙で密度の高い文体を取っていることとも関係しており、研究者の間では散文の物語(もともと独立した民話であった可能性がある)に、後から詩文による神学的な対話が挿入されたのではないかという説が根強い。また、若者エリフの発言(第三十二〜三十七章)は文体や視点の違いから後代の追加と見る研究者が多く、神の「嵐の中からの語りかけ」(第三十八〜四十一章)についても、範囲や統一性をめぐって議論が続いている。
あらすじ
サタンは神(ヤハウェ)の許しを得て、信心深く非の打ち所のない義人ヨブが、苦難にあっても信仰を失わずにいられるかを試す。財産を奪われ、十人の子供を失い、全身を皮膚病に冒されたヨブは、神に向かって、悪人が栄え善人が不幸に見舞われることの不条理を叫ぶ。
見舞いに訪れたヨブの三人の友人(エリファズ、ビルダデ、ツォファル)は、苦難は罪への報いであるという応報原理に基づいてヨブを諭そうとするが、ヨブはあくまで自らの無実を主張し、神を厳しく論難する。

対話の応酬の後、神自身が嵐の中からヨブに語りかける。神は天地創造の壮大さと、被造物にすぎない人間の限界を説き、ヨブの人間中心的な思い上がりと神への反抗を戒める一方で、応報原理の枠組みに囚われなかったヨブの信仰の純粋性を暗に認め、最終的にヨブを祝福する。ヨブは自らの浅慮を悔い改め、物語は財産を倍に回復し、新たに十人の子供を授かったヨブの姿を描いて幕を閉じる。
内容――応報原理への異議
『ヨブ記』の思想史的な重要性は、当時のイスラエル社会に根強かった応報原理(善行は繁栄を、悪行は災いをもたらすという因果応報の図式、たとえば申命記的な世界観)そのものへの異議申し立てにある。ヨブの三人の友人はこの原理の忠実な代弁者として描かれ、ヨブの苦難を彼自身の隠れた罪の証拠と見なす。これに対しヨブは、自らの無実を貫くことで、応報原理では説明できない苦難が現実に存在することを主張し続ける。神の語りかけも、直接に「なぜヨブが苦しんだのか」への答えを与えるわけではなく、むしろ人間の理解の限界そのものを突きつける点に、この書の特異性がある。
受容と解釈の歴史
『ヨブ記』は成立当初から、一義的な読み方を許さないテクストとして受け取られてきた。ユダヤ教のラビ文献(タルムード、バヴァ・バトラ篇)には、そもそもヨブという人物が実在したのか、それとも全体が譬え話(マーシャール)にすぎないのかをめぐる議論さえ記録されている。
古代末期から中世にかけては、外典『ヨブ記約』や新約聖書「ヤコブの手紙」に見られるように、ヨブは何よりもまず「忍耐」の模範として理解された。この読み方をキリスト教世界で決定づけたのが、グレゴリウス一世(大教皇)による浩瀚な注解書『ヨブ記倫理論』(579年〜595年頃)である。グレゴリウスはヨブの苦難をキリストの受難の予型として寓意的に読み解き、この解釈は中世を通じて聖書解釈の規範となった。
近代に入ると、こうした宥和的・寓意的読解に対する懐疑が強まる。イマヌエル・カントは、ヨブの苦難を神の正義によって説明しようとする友人たちの弁明よりも、無理に正当化を試みずに自らの経験に誠実であり続けるヨブの態度のほうを高く評価した。セーレン・キルケゴールも『反復』(1843年)でヨブを中心的な主題として取り上げ、財産は倍にして返されたのに対して子供たちはそうではなかった(人間の生は反復されえない)という物語自体の非対称性に注目しつつ、ヨブの回復を単純な原状回復ではなく、より深い次元における「反復」として読み直している。後にハンス・ブルーメンベルクやエルンスト・ブロッホ、カール・ヤスパースらも、苦難に安易な神学的慰めを与えない「反神義論」的な読み方を展開した。二十世紀にはカール・グスタフ・ユングが『ヨブへの答え』(1952年)において心理学的な読解を試み、また社会的な寓意、資本主義批判、フェミニズム的読解など、多様な視点からの再解釈が現在まで続いている。
ウィリアム・ブレイクの版画連作をはじめ、絵画・音楽における翻案も、ヨブ記受容史の重要な一部をなしている。
ヨブの経験の理不尽さ
こうした解釈史の中でも、とりわけ現代の読者の実感に近いのが、物語の結末そのものに対する違和感から出発する読み方であろう。『ヨブ記』は神とヨブが和解する教訓的な説話として幕を閉じるが、たとえ最後に財産や寿命を倍にされ、新たに十人の子供を授かったとしても、それによってヨブが受けた傷が癒されたとは思えない。死んだ十人の子供たちは二度と戻ってこないのだ。この意味で、ヨブの経験は単に理不尽なものとして残り続ける。その理不尽さは、人知を超えた神の意志そのもの――応報原理や勧善懲悪の図式によっては解釈しきれない、人間にはどうすることもできない現実性そのもの――として、物語の枠組みの外に、いわば解消されないまま置き去りにされる。
この読み方は、先に見た近代以降の反神義論的な解釈の系譜と地続きのものと言える。すなわち、苦難を意味づけたり正当化したりすることを拒否し、むしろその不条理性そのものを直視しようとする態度である。そのように読むとき、『ヨブ記』のうちには、理不尽さを含み込んだ生、現世そのものの肯定を見て取ることもできるかもしれない。自分がなぜこれほどの苦しみに遭うのかというヨブの神への問いは、たとえていえば、自然災害の被害者が、なぜそれを引き起こしたのかと地球そのものに問うようなものであり、決して答えが与えられることはない。世界は人間的な意味や道理の枠組みを超えたところに存在しているのである。
