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バッハ: ゴルトベルク変奏曲(Gould, 1981)

序論

ヨハン・ゼバスティアン・バッハの《ゴルトベルク変奏曲》(Goldberg-Variationen、BWV 988、1741年出版)は、一つの主題(アリア)とその30の変奏、そしてアリアの再現からなる鍵盤変奏曲である。主題の旋律ではなく低音と和声の構造を変奏の基盤とし、3変奏ごとに配されたカノンや、舞曲、フランス風序曲、対位法的書法、技巧的な両手交差などを、均整のとれた一つの構成に収めている。演奏時間は約45分から1時間超(反復の扱いにより前後する)で、バロック鍵盤音楽の最高峰の一つとされる。

グレン・グールドは1955年と1981年にこの作品を録音した。1955年盤が彼の名を世界に知らしめたデビュー盤であるのに対し、1981年盤は死の約1年半前に録音された晩年の代表的な録音である。両者は同一の奏者による同一の作品でありながら、解釈の性格が大きく異なる。本記事では、前半で作品そのものを、後半でグールドの1981年盤を、それぞれ分けて解説する。

楽曲について

作曲者の略歴

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685–1750)は、ドイツ・バロック期を代表する作曲家・オルガニストである。アイゼナハに生まれ、各地の宮廷や教会に奉職したのち、1723年からライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(音楽監督)を務めた。カンタータ、受難曲、ミサ曲などの声楽作品に加え、《平均律クラヴィーア曲集》、《フーガの技法》、《音楽の捧げもの》など、対位法と鍵盤音楽の体系化に決定的な業績を残した。

作曲の経緯

本作は、バッハが晩年に継続的に刊行した『クラヴィーア練習曲集』(Clavier-Übung)の第4部として、1741年頃にニュルンベルクのバルタザール・シュミット社から出版された。原タイトルは、2段鍵盤のチェンバロのためのアリアと種々の変奏という意味の内容を示している。作品に献辞はない。

作品名の由来として広く知られているのは、1802年のフォルケルによるバッハ伝に記された逸話である。ドレスデン駐在のロシア大使カイザーリンク伯爵が不眠に悩み、お抱えのチェンバロ奏者ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクに、眠れぬ夜に弾かせるための曲をバッハに依頼した。バッハはこの要望に応えて本作を書き、伯爵から金貨を満たした杯を贈られたという。ただし、この逸話は作曲から60年以上後の記録であり、史実としての信憑性には疑問が呈されている。出版譜にゴルトベルクの名はなく、当時のゴルトベルクは十代前半であった。したがって、この逸話は伝承として扱うのが妥当である。

主題のアリアは、アンナ・マクダレーナ・バッハのための音楽帳(1725年)にも記されている。記入はアンナ・マクダレーナの手によるもので、1740年頃に空いていたページに書き写されたと推定されており、バッハ自身の直筆かどうかや正確な記入時期は確定していない。また1974年には、バッハ自身の校訂書き込みを含む私家版(Handexemplar[ハンドエクゼンプラー]:作者自身が所有し、手書きの書き込みを加えた印刷譜)がストラスブールで発見され、そこには変奏曲本体とは別に、アリアの低音の最初の8音に基づく14の追加カノン(BWV 1087)が記されていた。

楽曲全体の特徴

構造

作品全体は、ト長調のアリア、30の変奏、冒頭アリアの再現(ダ・カーポ)からなる。アリアは3/4拍子のサラバンド風の舞曲で、32小節(16小節+16小節)の二部形式をとる。各変奏はこの32小節の低音進行と和声構造を共有し、主題の旋律をなぞるのではなく、低音を土台に新たな性格を与えていく。この点で、本作はパッサカリアやシャコンヌの系譜にも連なる。

3変奏ごとのカノン

カノンとは、一つの旋律を別の声部が少し遅れて追いかける書法である。本作では、追いかける声部の入る音高が、変奏ごとに少しずつずれていく。第3変奏では両声部が同じ高さ(同度)で進み、以降は第6変奏で2度、第9変奏で3度と離れ、第27変奏の9度に至る。

第3変奏から第27変奏まで、3変奏ごとにカノンが置かれている。その間に挟まれる2つの変奏は、舞曲風、フゲッタ、装飾的アリア、2声の技巧的な曲など、性格の異なるものが配され、全体は「性格的変奏+技巧的変奏+カノン」という3つ組を10回繰り返す構成になっている。

後半の幕開けと終結

第16変奏は、フランス風序曲(Ouverture)の形式をとり、作品を前半と後半に二分する。第30変奏はカノンではなく、当時の民謡を織り込んだクオドリベット(Quodlibet:複数の旋律を同時に組み合わせる形式)となる。その後、静かなアリアが回帰して作品が閉じられる。

短調の変奏

全体がト長調で書かれた中で、短調の変奏は第15、第21、第25変奏の3曲のみである。とりわけ第25変奏は、ト短調の緩徐楽章で、半音階的な和声と装飾的な旋律による深い抒情性を持ち、20世紀のチェンバロ奏者ワンダ・ランドフスカが「黒真珠」と呼んだことで知られる。

楽器編成

原曲は2段鍵盤のチェンバロのために書かれた。2段鍵盤の使用を前提とした声部の交差や両手の重なりが多く、これが現代のピアノで弾く際の技術的な難所となる。20世紀以降はピアノでの演奏が一般化し、グールド盤もその代表例である。そのほか、オルガン、弦楽三重奏、弦楽合奏など、多様な編曲版が存在する。

各変奏の解説

  • 「アリア」:サラバンド風の主題。装飾音を多用した旋律が、32小節の低音進行に支えられて歌われる。作品全体の出発点であり終点でもある。
  • 「第1変奏」〜「第2変奏」:活発な動きの2声の変奏で、主題の静けさから一転して推進力を提示する。
  • 「第3変奏」:最初のカノン。二つの声部が同じ高さで、旋律を追いかける。
  • 「第4変奏」〜「第5変奏」:舞曲風の第4変奏に続き、第5変奏は両手の交差を伴う高速の技巧的変奏。
  • 「第6変奏」:2度のカノン。
  • 「第7変奏」〜「第8変奏」:舞曲風の第7変奏と、両手交差を用いた技巧的な第8変奏。
  • 「第9変奏」:3度のカノン。
  • 「第10変奏」〜「第11変奏」:小フゲッタ風の第10変奏と、軽快な第11変奏。
  • 「第12変奏」:4度のカノン。
  • 「第13変奏」〜「第14変奏」:装飾的で歌謡的な第13変奏と、両手交差を伴う技巧的な第14変奏。
  • 「第15変奏」:5度のカノン。短調で書かれ、前半を締めくくる深い表情を持つ。
  • 「第16変奏」:フランス風序曲(Ouverture)。後半の開始を告げる。
  • 「第17変奏」〜「第18変奏」:技巧的な第17変奏と、6度のカノンである第18変奏。
  • 「第19変奏」〜「第20変奏」:軽快な3拍子の第19変奏と、技巧的な第20変奏。
  • 「第21変奏」:7度のカノン。短調で、半音階的な下降が哀感を帯びる。
  • 「第22変奏」〜「第23変奏」:4声のアラ・ブレーヴェ(alla breve:二倍の速さで数える拍子)風の第22変奏と、華やかな第23変奏。
  • 「第24変奏」:8度のカノン。
  • 「第25変奏」:ト短調の緩徐変奏。作品全体の情感的な核。
  • 「第26変奏」:複合拍子の流れるような変奏。
  • 「第27変奏」:9度のカノン。
  • 「第28変奏」:技巧的で装飾的な変奏。
  • 「第29変奏」:重厚な和音と急速な走句の対比を持つ、最後の技巧的変奏。
  • 「第30変奏」:クオドリベット。2曲の民謡の旋律が組み合わされ、本来カノンが置かれるはずの位置に置かれた終曲的な変奏。
  • 「アリア(ダ・カーポ)」:冒頭の主題が再現されて作品が閉じられる。30もの変奏を経たあとに聴く同じ旋律は、冒頭とは異なる響きを帯びる。

グールドの1981年盤について

演奏者について

グレン・グールド(1932–1982)はカナダ・トロント出身のピアニストで、1964年に公開演奏から退き、以後はスタジオ録音、放送、著述に活動を集中させた。バッハの対位法作品を中心的なレパートリーとし、録音という媒体の可能性を探求した、20世紀後半の最も個性的な演奏家の一人である。録音時の唸り声(ハミング)でも知られる。1982年10月4日に死去した。

録音の解説

1981年4月22日から5月にかけて、ニューヨークのCBS(Columbia)30th Street Studioでデジタル録音された。これは同曲の2度目の録音にあたり、グールドが生前に完成させた最後期の録音の一つである。このスタジオでの最後のセッションとなった。使用楽器はヤマハのコンサートグランドピアノ。プロデューサーはサム・カーター(Samuel H. Carter)が中心を務め、グールド自身も共同で参加した(一部セッションではリチャード・アインホーンが代理を務めた)。

録音は約51分で、1955年盤の約38分と比べて大幅に長い。この長さの主な要因は、全体にわたる遅めのテンポ設定と、反復の扱いである。1955年盤では全反復を省略していたのに対し、1981年盤では13の変奏でA部分の反復を採用した(9つのカノンすべてと、対位法的に厳密な第4・10・22・30変奏)。B部分の反復は原則として省略している。冒頭と終結のアリアは、1955年盤よりはるかにゆっくりと、内省的に弾かれている。

1981年盤の最大の特徴は、変奏相互のテンポ関係への配慮である。それぞれの変奏を孤立した性格小品として扱うのではなく、拍の単位や速度比を連関させ、作品全体を一つの有機的な時間構造として提示しようとする試みである。グールド自身は、ブルーノ・モンサンジョンの映像作品やティム・ペイジとのインタビューで、1955年盤を「30の興味深いがやや独立した小品」と振り返り、1981年盤では「一定のリズム上の基準点(constant rhythmic reference point)」を設定し、比例的なテンポ関係によって全体を統一しようとしたと語っている。

YouTubeのグレン・グールド公式チャンネルで全曲を聴く

1955年盤との比較

1955年盤との相違点は以下のとおり。

観点 1955年盤 1981年盤
録音時期 1955年6月 1981年4–5月
演奏時間 約38分 約51分
録音方式 アナログ デジタル
全体の性格 快速で明快、鮮烈な技巧 遅めで内省的、瞑想的
アリア 比較的軽やかに歌われる ゆったりと、深い陰影を伴う
反復 全省略 13変奏でA部分を反復
位置づけ 衝撃的なデビュー盤 晩年の総括的な再解釈

1955年盤は、ノンレガート奏法による鮮やかなタッチと推進力で当時23歳のグールドの個性を強く印象づけた。一方1981年盤は音の響きを丁寧に保ち、各声部をより深く歌わせることで、同じ楽譜から異なる世界を引き出している。両者は優劣ではなく、対をなすものとして聴かれるのが一般的である。

評価

1981年盤は、ピアノによる《ゴルトベルク変奏曲》の代表的録音の一つとして、広く高く評価されている。とりわけ、自身の1955年盤を再解釈し、異なる次元に到達した点が注目される。一方で、遅いテンポや強い個性ゆえに、バロック演奏の規範や歴史的奏法(HIP)の観点からは議論の余地があるとして賛否を呼ぶこともある。作品を正統的な様式・解釈で聴きたい場合は、チェンバロ奏者による演奏や、他のピアニストの録音も参照すべきである。

リリース履歴

1982年にCBSマスターワークス(現ソニー・クラシカル)からLPおよびCDとして発売された(主なカタログ番号:IM 37779、MK 37779、D 37779など)。デジタル録音であったため、初期のCD市場でも早い時期から注目された。グラミー賞(Best Classical Instrumental Soloist)とジュノー賞を受賞し、クラシックとしては異例の売上げを記録した(後年200万枚を超えたとされる)。のちに、1955年盤と併せた2枚組・3枚組などの形でも再発されている。

2022年には、グールドの生誕90年・没後40年・1981年録音から40年を記念して、ソニー・クラシカルから『The Goldberg Variations – The Complete Unreleased 1981 Studio Sessions』(ゴルトベルク変奏曲:1981年未発表レコーディング・セッション全曲)が11枚組の大型ボックス・セットとして発売された。CD1〜10には、1981年4〜5月にコロンビアの30丁目スタジオで行われた、これまで未発表だった約10時間分の全セッション・テイクおよびプロデューサーやエンジニアとの会話・やり取りが収録されている。CD11には1982年に発売されたグラミー賞受賞の最終リリース版が収められている。音源はオリジナルの1/4インチ・アナログ・テープから24bit/96kHzでリマスタリングされた。セットには、216ページの豪華ハードカバー・アートペーパーブック(11インチ×11インチ)が付属し、録音時のスタジオ会話の完全な文字起こし、注釈付き楽譜、アーカイヴ写真、リチャード・アインホーンらのエッセイなどが掲載されている。

1981年の録音セッション時には、フランスの映像作家ブルーノ・モンサンジョン(Bruno Monsaingeon)によるドキュメンタリー『Glenn Gould Plays Bach: The Goldberg Variations』が制作された。スタジオでの録音風景とグールドの解説を交え、再録音の意図を伝える貴重な映像資料となっている(演奏テイクは音盤と完全に同一ではない)。

音楽史における評価と影響

グールドの2種類の録音は、《ゴルトベルク変奏曲》の受容史において、同じ奏者が若年と晩年に同一作品を録音し、その解釈の変化が作品理解の深化として聴かれるという、きわめて稀な事例である。1955年盤は、ピアノでバッハを弾くことの可能性を一般聴衆に広め、この作品を鍵盤音楽の名曲として広く知らしめた。1981年盤は、グールドの死の直前に録音されたこともあり、「回顧的な総括」「遺言的な演奏」として聴かれることが多い。

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